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特別編 「絵本フォーラム」53号・2007.07.10 |
絵本がくれたダイヤモンド |
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飯田 栄彦(いいだ・よしひこ) 1944年、福岡県甘木市生まれ。早稲田大学教育学部国語国文科卒業。 去年の夏のことである。帰省していた長女( 27)と次女(19)が、上京する前夜、何やら照れ笑いを浮べながら私の部屋へ入ってきた。何事かと聞けば、絵本を読んでほしいという。お父さんの声で聞きたい、お父さんの読み聞かせで癒されたい、と。 それもマーシャ・ブラウン絵・北欧民話『三びきのやぎのがらがらどん』とガース・ウィリアムズ作・絵『しろいうさぎとくろいうさぎ』の二冊。ふうんと私はとまどいながらもうれしくなったが、同時にこのことはあらためて、絵本や読み聞かせの効用について考え直すきっかけになってくれたのだった。 この二冊は、長女より一歳年上の息子もふくめて、三人の大のお気に入り絵本だった。何度読まされたかしれないが、そのたびに子どもたち歓声をあげ、興奮し、部屋がゆれるような満足のためいきをついたものである。 高一の冬、息子を退学という危機が襲った。詳細は省くが、三ヶ月におよぶ親子の苦闘の末、私は決断して息子にこの絵本のことを話した。息子は息絶え絶えながらまだ必死に通学しており、夜明け前の暗い道を駅へ向かって車を走らせながら、私も懸命になって話したことを鮮明に思い出す。 かくいう私は、かれこれ六十年前の幼少期に、母親の読み聞かせによって本と犬好きな少年になったのだった。布団の中で、母は腕を私の枕がわりにさし出し、私の頭越しに本を持ちながら読んでくれたのである。私は母の顔を一心に見つめながら聞き入ったことを思い出す。 このとき私は母から、読み手は本人のもっとも美しい表情をし、もっとも優しい声を出す、ということを学んだ。現在の母親は認知症の末期で声も出ないが、私の脳裏には、若く美しかった母の優しい声が『フランダースの犬』の物語とともに今もこだまする。これが、記憶している最初のダイヤモンドである。 その母に、あるとき思い立って読み聞かせを始めた。昭和十四年中央公論社発行、谷崎潤一郎訳の『源氏物語』。母が娘時代に購入し、嫁入り道具の一つとして持参したものである。折々に読みついでようやく『若菜』まで来たが、私の声は母の心に届いているだろうか。実はこの訳本についても信じられないほどのドラマが出来するのだが(これも割愛せざるを得ないとして)、この一連のエピソードもまたまちがいなく母がくれたダイヤモンドの一つである。 さて。冒頭の当夜、残念なことに件の二冊は手元になかったために、代わりの絵本を五冊読んでやることにした。いずれもかつての愛読書である。娘たちはなつかしさに歓声をあげて拍手し、聞き入り、ときには身をよじって笑った。そしてお父さんありがとうと礼をいうと、満足そうにひきあげて行った。二人は今長男といっしょに暮らしているが、それぞれに自立する日は近い。長女は結婚、次女は就職、そして長男は職場に近い新住居へと、旅立ちまであとわずかである。 ともあれこうして、私の心の中にまた一つダイヤモンドが生まれた。凡庸な父親でしかない私は、子どもたちがそれぞれに良き伴侶を得て、夫婦でいとし子に読み聞かせをするような平凡な幸せをつかんでほしいと願う。そのとき、物語といっしょに私の声がよみがえるのであれば、ほかに何を望むだろう。母からのダイヤモンドを手渡したことになるのだから…。 ・『三びきのやぎのがらがらどん』北欧民話、マーシャ・ブラウン/絵、せたていじ/やく、福音館書店 『しろいうさぎとくろいうさぎ』ガース・ウィリアムズ/さく・え、まつおかきょうこ/やく、福音館書店 |