たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第55号・2007.11.10
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大家族の生み出す力とは何だろうか

『14 匹のひっこし』

 ぼくの周囲で大家族をすっかりみなくなった。だからか、7人8人の子どもを抱える大家族を世にも珍しい家族として扱うドキュメンタリーがテレビ番組に多い。やらせと思える演出過剰もあって鼻白む場面も多いが、大家族の実際には小さな家庭ではとうてい味わうことも見ることもない風景があり目を奪われる。

 大家族の暮らしは半端ではない。夕食のカレーライスも、三度も四度も洗濯機をフル回転させる洗濯も、その物量たるやものすごい。朝に夕にドタバタ騒動をくりひろげる子どもたち。嬌声がとびかい親の怒声や幼児の泣き声もなかにまじる。大家族を支える父親母親の苦労は並大抵ではないだろう。一つ二つちがいで年齢の並ぶ子どもたちの暮らしぶりも少子家庭にみる過剰に保護される子どものようにはいかない。

 親の奮闘ぶりも圧巻だが、屈託なく明るく育つ子どもたちの姿にぼくは眼をうばわれる。かれらの生き生きした眼と活力みなぎる動きに魅かれるからだ。

 自分の子ども時代をすっかり忘れて異界を覗くように大家族を語るぼくは大家族番組を見ながら、ぼくの学童期も実は似たようなものだったと忘却の彼方にある記憶をひっぱりだす。そうなのだ。短い間だったが祖父母に父の兄家族との三世代三世帯 18 人で過ごしたし、そののちだって8人家族をつづけたのだから十分に大家族の成員だった。現在の大家族風景と異なるがドタバタ大騒動の日常を、ぼくも存分に体験していたのである。

 ぼくは兄弟・従兄弟とともに学んで遊んだ。礼儀作法に長幼の序から喧嘩のやり方まで、あるいは学習意欲や競争心、相互に扶助する心性も学んだように思う。ひとりでぼくが生きられないことも学ぶ。地域の人々も家族の延長線上にあったように憶う。

 人と人がつながる力がコミュニケーション能力なら、ぼくはこんな大家族や地域からその力のいくらかを鍛えてもらったにちがいない。

 いわむらかずおの描く『 14 ひきのひっこし』の野ネズミ一家も大家族。なにしろ、おじいさんおばあさんに、お父さんお母さん、子ども 10 人で総勢 14 人の大家族なのである。

 前見返しに単色線画で描かれた物語の舞台。険しい森と岩間を流れ下る清流のやさしさが、不思議に森のゆたかさを印象づける。で、扉から本頁をめくるといきなりリュックを背負った 14 人の家族が大挙移動する姿が目にとびこむ。

 14 匹の体躯や表情が淡彩でやわらかな色調とやさしい曲線で描かれて、この大家族の親しみやすさがふんわりと胸に届く。ていねいで微細に描きこまれた背景の晩秋の色合いは森のゆたかさと大家族のあたたかさを共鳴させているのだろうか。

 先頭は愛らしい「くんちゃん」の手を引くお父さん。長男の「いっくん」があとにつづく。丸太渡りを楽しむ「ろっくん」がしんがりだ。切り株によじのぼろうと張り切る「はっくん」。切り株の上から隊列を一望する「ごうくん」は「ろっくん」に「おーいいそげ」と合図を送っているかのようだ。一見遠足ハイクのように楽しげに映る引越し風景。

 ところが見かけと実際は大違い。急坂をよじのぼり、天敵イタチをみつけては隠れしのぶ。渓流ではロープをかけてつたい渡らなければならない。大変な引越し大移動。そんな艱難辛苦を総員で役割分担して救け合う。こうして見つけた大木の根っこをねぐらに定めた家族は総出で家づくりにはげむのだ。なんだか楽しい家づくり。三階建ての住処がみごとに完成となる。滝から水を引き、谷川を渡る橋までつくってしまう大家族。大家族だからでる業といえないだろうか。森の大きな広がりと小さな野ネズミ一家のスケールを、見開きパノラマで見せながら、一家が生き生き過ごす広がる暮らしの空間にすっかり魅了されてしまうのである。

 ところが作者は親しくやさしい雰囲気を存分に浸らせながら、こっそりメッセージをしのばせる。引越し大移動の出発場面、大木の切り株を五つ六つと画面に配して森林伐採で家を失い奥地へと追いやられる家族の現実やら、自然の理のなかで共生する動物たちのきびしい関係を天敵イタチの登場やフクロウの声を語って暗示する。抑制されたメッセージはうっかりすると読みとれない。こんな描出がうれしくすばらしい。

 10 匹の子ネズミたちは数順に名づけられ、性別を区別する「くん」と「ちゃん」。こんな作者の仕掛けも児童読者はすっかり見抜き、服の色や模様を手がかりに探しっこする読み方まで楽しむではないか。大テーブルを囲む大家族の夕ごはん風景は幸福感でいっぱいでうらやましい。裏見返しに断面が描かれた一家の住処も夢世界ではないか。

 だがしかし、ほのぼの大家族の暮らしを別世界のように見るのはどうかとも思う。家庭や地域のありようを、こんな絵本からぼくらは学べないだろうか。

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