えほん育児日記
〜絵本フォーラム第56号(2008年01.10)より〜

新しい命を迎えるそれぞれの心の準備

 「両手に花だな」満面の笑みで一人娘の父である主人が言った。こう書くと、私への賛辞でもあるように聞こえるが、この言葉はわたしが知らぬ間に「草」に降格していたことを意味していた。というのも、現在お腹の中にいる第二子もどうやら女の子らしいと伝えた時の言葉なのである。「私は枯れちゃいましたかね」とムッとするわたしをよそに、主人は早くもお腹の子の名前を楽しげに考えている。私はというと、もう出産まで一カ月ないというのに名前なんてまだ頭もかすめない。内側から蹴られる独特の喜びをお腹にそしてお腹にあてられた掌に感じつつも、目の前の娘のことに気を取られているのである。突然、お姉ちゃんになるってどんな気持ちなんだろうか。妹であるわたしには知る由もない。気が付くと私が考えているのはそのことで、これからやってくるであろう娘への試練に気をもんでいる。そして頭の中はお腹の中の子が生まれてくる前に、今、一人の娘の母としてやっておきたいことで一杯になっている。

 何度も言うが、主人はその横で「両手に花」と鼻の下を伸ばしているのみである。

 赤ちゃんができて自分がお姉ちゃんになると知ってからの娘は、まるで筒の中で球体を回した時のように、円柱の内壁に沿って上へ下へとぐるぐるまわるボールのようだ。

 「『いのちは見えるよ』のエリちゃんみたいにがんばれーって言ってあげるからね。心配しなくて大丈夫よ」と私を励ましてとても大人びたことを言ったり、「練習しとかないとね、してあげられないでしょ。赤ちゃんのお世話はみーんなゆーちゃんがするんだから」と言って友人宅の赤ちゃんを抱っこさせてもらったり、ベビーカーを押させてもらったりとすっかりお姉ちゃんの風格を漂わせて、ぐうっと上へと成長した様子を見せたかと思うと、「ずうっとママの手を持っていたいの」と言ってべったりくっつき虫になったり、「ちょっとおっぱいを味見してみたいの」などと言ってぐっと赤ちゃんに近い様子を見せたりする。それはもう上へ下へと忙しい。

 早くも始まった赤ちゃん返りに夫婦揃ってため息が出ることも多いが、二人で「後戻りじゃないよね。上へ下へと螺旋を描きながら前へ前へと進んでるんだよね」と言って娘が無意識のうちに繰り広げている葛藤とその成長の様子を見守っている。

 赤ちゃん返りによって手がかかることも増えた娘だが、時にため息を通り越して感動してしまうことがある。こちらは突然宿った愛情の独り占めを許さない相手に、娘がストレスを溜めないだろうかとヤキモキしていたのだが、彼女は「わたしもあの子みたいに赤ちゃん抱っこして」「赤ちゃんの本を見ないで。ゆーちゃんの方ばっかり見て。やきもち妬いちゃうよ」「もっとゆーちゃんに触って」とその欲求をストレートに言葉に変える。あの体重にしてこんなにお腹がでている母に赤ちゃん抱っこをしろという無茶な注文をしているということすら忘れて、「なんて健やかなんだ」と思わず嬉しくなってしまう。気持ちを言葉にできそれを伝えられるという成長、そして関係が嬉しい。もちろん、全てが言葉で表現できストレスがないわけではないのだろうが、その何割かはそうやって言葉となって外へと逃げていっているように思う。毎日一緒に絵本を楽しむなかで知らぬ間に蓄えられていた言葉たちは、今、彼女の助けとなってくれている。

 「見えてる?」今日も、赤ちゃんはおへそからこちらが見えると思っている娘がお腹にむけて絵本を構え、絵本を読んでくれている。思えば、赤ちゃんができてから一番最初に赤ちゃんへ絵本を読んでくれたのも娘である。こちらから提案したわけではないのに絵本を持ってきて「読んであげるね−。」とお腹に声を掛け、今度は私に向き直って「絵本を聞くとね、安心するんだよ」と言ってくれた。私との絵本タイムも彼女にとってそんな時間だったのだとなんだかひどく嬉しかった。妊娠初期で気持ちの落ち着かなかった私も「ゆっくりやろう」と肩の力が抜けお腹の子も含め三人で絵本を楽しむゆとりができた。それから娘はしばしばお腹の赤ちゃんに絵本を読んでくれている。と言ってもまだ文字が読めないので、その読みは彼女の記憶と絵を読むことからうまれた言葉からなる。お腹に手をあて、赤ちゃんの動きを感じながら娘に絵本を読んでもらっている時間はわたしにとって、そしてきっと主人にとっても、とても温かで気持ちのよい瞬間だ。まだお腹の中にいる赤ちゃんも含めて不思議な一体感に包まれる。一番お腹をなでて、話しかけ、絵本を読み、赤ちゃんのおもちゃを出してきてはお腹の前で動かしてあやして見せているこの小さなお母さんに、夫婦揃って目を細めては慌てて「パパだよ−」「ママだよ−」とお腹をなでている始末だ。小さなお母さんから一歩も二歩も出遅れているのである。

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