たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第58号・2008.05.10
●●47

「死」を意識して老境で悟る生きる意味……。

『アンジェロ』

 1950年、まだ、戦後の混乱がつづく頃、ときの大蔵大臣・池田勇人が衆院予算委で「貧乏人は麦を食え」と失言を発した。マスコミはこれを大々的に取り上げ国民もふざけるなと怒る。池田は朴訥な政治家で正直者。戦後の混乱から立ち直ろうとする日本で拝金主義に流れ始めた日本人に経済原則にかなう身の丈を知った生き方をして欲しいとの思いから発した言葉であったらしい。のちに首相となった池田は所得倍増論をぶち上げて戦後復興から奇跡的な高度成長への足がかりを創るのだから人々の暮らしに傾注した内政に優れた政治家であったように思う。

 だが、現在の日本はどうだ…。おかしいぞ、と思うのはぼくばかりではない。なにやら解らぬ後期高齢者医療制度も生まれた。国民がろくろく知らないうちに制度強行。蓋を開けてみればどうやら弱者苛めのとんでもない制度。従来の健康保険制度から 75歳以上の人々をひきはがして全員に負担を強いるという。年金から無理やり控除するというのも、“長生きするな。病院などいくな”と国家が高齢者を脅している。“姥捨て山の新制度”と揶揄されてグーの音もでないはずだが、政府や官僚は平気の平左を決め込む。

 瀬戸内寂聴さんは「どんな人間にも公平に与えられるものはひとつだけ。それは、だれもが“死ぬ”ということです」と語る。だからこそ、人は懸命に生きるのではないか。

 ぼくも 60代半ばの世代。他人事ではない。自分の人生はできるなら自分で決めたい。特に後半生は俗に流れないで清々と生きたいと願う。そう願ってもうまくいかないのが実際だが…。

 だって、そうだろう。なんだかんだと辛酸を舐めながら少しの幸せを知ることで生き抜いた人生の先輩たちにぼくらは礼を失してはいけないのだ。老いることは尊いことだとぼくは思う。たとえば、アンジェロ老人のように…。

 アンジェロは壁ぬり職人である。古教会の壁塗り作業を毎日毎日飽くことなく繰り返す。たったひとりの作業で偏屈な一面を持つアンジェロ。だが絵本に描かれたアンジェロの風貌は熟練された腕への自信と永い人生から得たにちがいないずーんと伝わる人間の深い味わいを見せる。ぶつぶつ独り言を発しながらの仕事ぶりも納得できる。不都合があるととりあえず難癖をつけるのも結構だろう。で、作業中、息もたえだえの傷ついた鳩を発見する。アンジェロにとっては厄介者。「このじゃまものが…」は得意の難癖だ。ぶつぶついうが本心ではない。人生の達人は薄情とほど遠いのだ。彼は鳩を見捨てない。

 家に鳩を連れ帰ったアンジェロは悪口を吐きながらも鳩の傷を癒しベッドまで作る。シルビアと名までつけるのだから老人と鳩の関係を語る必要はないだろう。素っ気なし老人と鳩の交流は、あたたかいとか豊かな心などという美辞麗句をはるかに超える。

 老人の死を直視する生き方を深刻にしないで活写した秀作絵本『アンジェロ』。この作品は作家マコーレイが創った物語だろうか。マコーレイの深層に潜む人生観が勝手に筆を走らせたのだろうか。ぼくはあれこれ頭をめぐらせるのである。

 ときが経ちアンジェロの老いはひたひたと…。仕事を辞める時期が来たことをアンジェロは知る。晩秋のある日、アンジェロは最後の仕事を終える。ところが彼はシルビアの行末を心配する。「人間はいつまでも生きることはできん。俺がいなくなったらお前はどこへいく」と語るのだ。で、教会最上階に夜を徹してシルビアの住処を作りあげたアンジェロは、翌朝、椅子にゆったりと腰をおろした姿で天国へ逝く。

 歳を重ねてゆくととりわけ職人と称される人々の生き方にぼくは惹かれる。一日一日を淡々と刻むアンジェロの姿。積み重ねた年輪が生み出すのか、無欲で恬淡とした心情をぼくはつくづく羨ましいと思う。

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