えほん育児日記
〜絵本フォーラム第59号(2008年07.10)より〜

「自ら成長できるゆったりとした時間」

 「歯、削れるよ」よく主人に向けて発せられる言葉だ。なんと主人は長女が生まれてから歯が削れているのである。かわいいと思うと歯に力が入り、歯をくいしばってしまうらしいのだ。虫歯治療で行った歯医者で「歯ぎしりをしますか?歯が削れていますね」と言われ、夫婦で顔を見合わせた。歯ぎしりは一切しない。「かわいい」と言うときのあの歯に力を入れすぎて顎の出たかわいくない顔のせいにちがいない。

 長女はもうすぐ4歳だが、彼女にむけられるこの顔は未だ健在である。しかし、長女はここのところかわいくない。いや、誰から見てもかわいいに違いない我が子なのだが、反抗期なのか怒り疲れる日々なのだ。気に入らないことは聞こえないふりをするし、適当に「はい」と言い直後に同じことで怒られることもしばしばだ。先日は鼻に指を突っ込んでいるところを「鼻をいじらないの」と怒られてほじりながら「はい」と答えてどっと疲れさせてくれた。そんな日々でも主人がこのかわいくない顔をさせられてしまうのは絵本のおかげかもしれない。

 長女はまだ幼稚園に行っておらず、いつも一緒。始終一緒にいると知らぬ間にこんなことができるようになったんだということはなく、ついゆったりとした成長を見過ごし、できないことに目がいきがちだ。今日は寝返りができた、立っちができたという時期とは違い、その成長は見えずらい。植物が着実に背丈を伸ばしているのに見ている時はその伸びている音を聞くこともできなければ伸びている部分を確認できないように。

 今日も絵本を開く。何度となく娘と開いた「さっちゃんのまほうのて」。いつも感想は求めない。読み終わるとじっと、じっと自分の手を眺めていた。不安げに「ゆーちゃんには手があるね。さっちゃんには手がないね。本当に手がなくてもおかあさんになれるかな。お料理できないね」と聞いてきた。なれるよと言いたいところをぐっと我慢した。「どうかな。ゆーちゃんどう思う?」長い間の後、「あのね、おかあさんはね、味方でいる人なの。大好きでいてくれる人なんだよ。手がなくてもできると思う。やっぱりなれるよ」と嬉しそうに言った。「ゆーちゃんもね、いいおかあさんになるからね」

 伸びていく音を聞いた。怒り疲れて育て方を間違ったんじゃないかと思うこともしばしば。でも絵本を開いて寄り添うと、彼女の真剣な目に、言葉にできない涙に、ぽつりと言った一言に伸びていく音をきくことができる。絵本はわたしたちの親バカアイテムだ。

 我が家では長女がまだ歩かぬ頃にこんなことがあった。頂き物の歌が流れる絵本。長女は気に入った様子でボタンを押していた。一人でボタンを押していてくれ家事ができると喜んだ。家事が終わってもまだボタンを押している姿にわたしの中でざわりと嫌な音がした。さりげなく片付けても見つけてきて気付いたらあまり表情もなく押している。何となく嫌な感じは嫌悪感に変わり昼寝の間にゴミ箱に放り込んだ。そのゴミと一緒に「親の都合のいい子」にすることもぽいっと放った。

 次女もまた「いい子」だ。5か月にして皆に「話しているようだね」と言われるほどに彼女はその大きな泣き声で、視線や態度で、声で主張する。まったく手が掛かるいい子だ。

我が家のかまってちゃんたちにときに夫婦揃って疲れて溜め息をつき、「親の都合のいい子」にしようとしてしまう時がある。そんなときは夜二人で絵本を開く。今日は『フランシスのいえで』。子どもに成長のボタンはない。ボタンを押したら動くような無時間での成長を求めてはないだろうか。彼女たちに自ら成長できるゆったりとした時間、それを待っててもらえるという安心感を与えていけてるだろうか。二人で絵本を読みあい確認し合っている。

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