絵本のちから 過本の可能性

「絵本フォーラム」66号・2009.09.10

(よしざわ・しづえ)
1957年長野県上伊那郡辰野町生まれ。
平成21年4月から公共図書館勤務。
家族は、夫、二男、両親。

書評「森ゆり子講演録 絵本を読んであげましょう」
吉澤 志津江(絵本講師)

読む人の気持ちに寄り添ってくれる本
丸ごと受け入れてもらうことで育まれる自己肯定感・自己信頼感

 「心」という言葉を頻繁に耳にする。こころの時代、ココロの授業、ココロの学校、心のノート etc——。これだけ「こころ」という言葉が満ち溢れる今日、それは、「こころ」を失いつつあることへの危機感の裏返しではないだろうか。

ごく普通に子育てしているお父さんお母さんに…

 この7月に出版された『絵本を読んであげましょう』にも、第5章に〈心は育てなければ育ちません。〉という記述がある。子どもたちの心を育てるために、絵本を子育ての味方にしようと呼びかけるこの本は、NPO法人「絵本で子育て」センター主催の、「絵本講師・養成講座」開講5周年を記念して出版されたもので、同センターの森ゆり子理事長の講演草稿に加筆再構成をした内容となっている。

 この本の、いちばん大きな意義は、ごく普通に子どもを育てているお父さんお母さんむけに、わかりやすい言葉で書かれているということだ。絵本についての本や、読み聞かせに関する本は、近年のブームとも言われる現象の中で、多数出版されているが、それらのほとんどは、読み手に一定のレベルを求めており、残念ながら、絵本や読み聞かせに興味のない大人にはなかなか届いていなかったのが実情ではないだろうか。そういう意味では、今まで必要とされていながら出版されてこなかった本だと言える。

3つのキーワード「子ども」「絵本」「ことば」

 「子ども」「絵本」「ことば」この3つの言葉がこの本のキーワードだ。森理事長の 08年中のさまざまな場での講演がベースになっているだけあって、最初の数行で読む人の思いをひきつけ、最後まで読む人の気持ちに寄り添ってくれる。読了後は、子どもを慈しみ育てたい、そのために今夜からでも子どもに絵本を読んでやろうと、おそらく誰もが思うはずだ。

 〈はじめに……〉の中で、森理事長は自身の子ども時代に触れ、豊かな自然や近隣の住人について《それらすべてが、私にとっての「絵本」だったと思います。それは、それはゆたかな「絵本」でした。》と述懐する。日本の高度経済成長期が始まろうとしているその時代、時間・空間・仲間の三つの間が子どもを取り巻き、それらが自分自身にとっての絵本だったという記述に、同世代の読者は郷愁と共感を覚えるだろう。

 ちょうどそのころ、日本の絵本も新しく生まれ変わろうとしていた。「岩波の子どもの本」シリーズの刊行が始まったのが、1953年である。これについて、松居直さんは《これは、日本の子どもの本、あるいは絵本の歴史にとっては画期的な出来事だったと思います。》(『絵本とは何か』日本エディタースクール出版部)と書いている。ただ刊行当時は「教師や一部の親を通じて主に都市部の子どもたちに手渡され」(『はじめて学ぶ日本の絵本史V』鳥越信/編、ミネルヴァ書房)ていたようで、おそらく田舎の子どもたちでこのシリーズの恩恵を受けたのはごく限られた子どもたちに過ぎず、日々の暮らしは、先述したように、海、山、川、田んぼ、友達、おじ・おば・いとこたち、といった、自然や人によって彩られていた。

 その後、絵本は 60年代の黄金期を経て、70年代にはブームが訪れ、絵本はもちろん、それ以外の児童書の出版点数も増加する。そして高度経済成長のさなか、物質的にはすべてが豊かになり、多くの国民が等しくその恩恵を享受する「いい時代」が続いてきた。その半面で、失ったものは大きい。その喪失にようやく気付いた社会で、今、頻繁に「こころ」という言葉が用いられるようになってきたような気がしてならない。

奪われた「目には見えないもの」

 特に、子どもたちから奪われた、「目には見えないもの」。その影響の大きさに気付かないで過ごしているうちに、親たちは、子どもをあるがまま受け入れることができなくなっているのではないか、そして日本の子どもたちはいつの間にか、自分を尊ぶ気持ちを忘れてしまったのではないかと、森理事長は、第2章で問いかける。

 この第2章では、『子どもに愛を伝える方法』(田上時子+エリザベス・クレアリー/著、築地書館)という本からの引用で、「言葉で愛を伝える」「スキンシップによる愛の表現」「ともに過ごす時間」「贈り物にこめる愛」「相手の望むことをする」という5つの愛の伝え方を紹介し、実は、絵本を読むという行為にはこの5つの伝え方すべてが含まれていると書く。さらに、生きていく本当の力というのは、有利(安定)に生きていくための力ではなく、苦悩や困難や試練があったときに自らそれを乗り越えていく力で、それは丸ごと受けいれてもらうことで育まれる「自己肯定感・自己信頼感」にほかならないともいう。

果てのない行程を歩む日の案内書として

 誰よりもまず、子どもを持つお父さんお母さんに読んでほしい本だ。特に子育てに困難を感じている大人には真っ先に読んでほしい。次に、職業として子どもに専門的に係わる大人に読んでほしい。こういう本が届かないお父さんお母さんへの橋渡しをしてほしいからだ。

そして、「絵本講師・養成講座」を修了して絵本講師として活動する私たち、また現在講座受講中の方々には間違いなく必携の本である。森理事長の、子どもや社会に関わる幅広い分野への探求に触れるにつけ、「絵本で子育て」を広く伝えていくためには、絵本の勉強だけでは不充分だということに気付くだろう。自分が目指す一つの峰としてこの本を据えよう。そして、いずれはこの峰を超えて、自身の果てのない行程を歩む日の案内書として携えていよう。 (巻末に、本文の中で紹介された絵本や、参考文献などのリスト付き)。


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