たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第77号・2011.07.10
●●66

地面の下の幸せな町。共生する生命体に想像力を働かせたい。

もぐらバス』

 東日本大震災・福島原発大事故の発生から 3 ヶ月が経過。夥しい死者や行方不明者を数えながら懸命の救出・復旧作業はいまなお続く。けれども政府や電力会社のこれらに対する取り組みは驚くほどに心許ない。だから、梅雨でなくとも、ぼくらの気分はずんずん塞ぐ。

 安全神話を創りあげ、技術大国を謳いあげてきたのは誰であったか。気づいてみれば安全の対極にある経済効率だけで事を進め、リスク回避技術も事故復旧技術などもとよりなかった。国の差し出す情報も、大企業や大新聞・テレビの垂れ流す情報も真実はいかほどか、疑わしい。さらに、学者たちまでこれらに取り込まれて怪しげな情報づくりの片棒を担いでいたなどとはおそろしい。科学も何も信用できなかったら、ぼくらはどう生きればいいのだろうか。

 こんなときに絵本にふれる。いくらかなりと気分を和らげてくれるし、忘れてしまいがちな自然の摂理に気づかせてくれる。

 多くの生命体が山や海や、川に畑にと、共生する。人間だけが自然を思いに任せていじくりまわしていいわけがない。人間たちは地面の下にもしっかり町があることに想像力を働かせることがあるだろうか。子どもたちなら想像できようが、世事にかまける大人たちには無理なはなしだろう。人間たちは縦横に走る太い水道管やコンクリートで固めつくした地下街は作る。だが、自然を破壊することなく生命体に宿る手足だけをたよりにする地面の下の町は造れない。

 で、地面の下の町が絵本『もぐらバス』に描かれる。地域八方にトンネルをめぐらせてぐねぐねとつなぎ、みごとにコミュニティを成立させる町づくり。町だからもちろん、学校があり児童館があり、老人クラブもある。この町は至って子どもと老人にやさしい。どうやら、地上の厄介な世界とは雲泥の違いで、老人であるぼくの鬱とした気分もじわりと晴れる。

 もぐらが運転手のバスが町を循環する。停留所の名が愉快で、物置の下 1 丁目、犬のいる家2丁目、だれかんちの庭3丁目といった具合。どうだい、こののんびりとぼけた名前は !  爺さんにはなかなか気分のよい絵本である。

 で、もぐらバスのある日のできごと。お客でいっぱいのお昼前のバスが急カーブを切ったところで「キキキーッ」と急ブレーキ。車の前方中央に大きなタケノコが顔を出していた。何たることよ、さぁ、こんなときどうする、人間たちよ。

 もぐら運転手のとっさの危機管理は、「道の真中に朝は見なかったタケノコがずんと顔だしてね。急ブレーキかけました。ゴメンナサイ」とまるであわてた雰囲気はない。乗客のものわかりの良さもものすごい。「タケノコじゃ、しかたない。タケノコじゃ、しかたない」と鷹揚なもの。地上社会との彼我の差に、爺さんは「いいな、いいな」と拍手を打つのである。

 もぐら、ねずみ、カエルなど登場する動物たちはこじんまりと描かれる。この動物たちの小さな可愛らしさと、もぐらバスや事故復旧に活躍するローラーカーやクレーン車、さらにタケノコの大きさとパワーが対比するように際立っている。のんびりふんわりとした地面の下の町の雰囲気にパワーとリズムをのぞかせて町に活力を漲らせるのは、作者ふたりの作戦だろうか。

 ちなみに、もぐらバスの運賃は1回1円だ。子どもと老人が住みにくい地上社会の昨今にちくりと一刺しして、もちろん子どもと老人は無料であることを特記する。

 で、地面の下の町の上はどうなっているのか。絵本はのどかな春の郊外の町を描いている。「シャッ、シャッ」とおじいさんが庭外の道路をほうきで掃く音がさわやかにひびき、おじいさんちの犬が吠える。犬は地面に向ってときどき吠えている。犬は犬小屋のある地面の下をもぐらバスが通るたびに吠えているらしい。おじいさんは知らないが、犬だけは地面の下に町があることを知っていたのだ。のどかで、のんびりして、澄んだ町の風景。

 ぼくらはあちらこちらで起こる大惨事や不都合に遭遇する生命体のすべての立場にたった想像力をいくらかなりと働かせることができるだろうか。著作者の思いとは別に傑作絵本が示唆しているのはそんなことかと、ぼくは勝手に思う。

『もぐらバス』(佐藤雅彦 + うちのますみ 、偕成社)

前へ次へ