絵本・わたしの旅立ち
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残念〈ある見学〉勉強になりました

 読み聞かせの場

 このあいだ、あるボランティアに招かれて拝見にいってきました。ちょうど前半が終わったところらしく、場内は賑やかにザワついていました。

 子どもたちは解放(?)されたせいか足を伸ばしたり、隣に座っている子どもと、取っ組み合いを始めたり、なかなか楽しそうでした。

 つきそいのお母さん方も何人かが見えていて、ボランティアの仲間のせいか、いま終わったばかりの語り手の手法について、また力量について、大袈裟にあれこれ喋っている最中でした。

 そういうこともあって、会場内にはこれまでの前半の余熱がムンムン残っているような気配でした。

 それはそれで楽しくていいのですが、すぐ休憩も終わって、いよいよ後半の第二部に移るわけですから、それにはその用意もあろうに、それらしい準備をする人が一向あらわれてこないのです。つまりこの後、続いて楽しく読み聞かせの会を、責任をもって担当する人たちがおらず、休憩は会の流れと別に、ハシャイでいたのでした。

 「こんなことで、子どもたちも集中して、後の会が、うまくいくのやろか」

 少々心配になっていたら、エプロンで手を拭きながら、教養のありそうな、シッカリものの、なおかつ気の強そうな三十代の女性があらわれて、大きな声を出しました。

 「みなさん、お静かに。いよいよこのグループ評判の読み聞かせをします。先生はこの間イギリスからお帰りになったばかりの××先生です。絵本は有名な『三匹の子ぶた』です。期待してお迎えしましょう」

 すると会場内から、やや不そろいながら、パチパチと拍手が湧きました。

 こうして後半の第二部が始まりましたが、瑣末な点には少々難点はあっても、一般的な平均以上の読み聞かせ会でした。 

 ちょっと脱線か

 ところが、ここまでは結構なかなか楽しい会だったのに、その時、五年生くらいの女の子の発言で、一ぺんで模様が変わってしまったのです。

 「センセ、その話、これまで何べんも聞いてよく知っています」

 女の子は会の進行の邪魔をするつもりではなく、質問は単純な自己顕示欲のあらわれ——つまり、『三びきの子ぶた』のような有名な話なら、何度も聞いて、ここにいる友人たちと違って、私はすみずみまで知っているぞということを参加者一同に認めてもらいたいだけだったのです。どこの集まりの際にもよくある話で、普通ならサラリと

「あ、そう。『それは嬉しいことですね。今日は、これまでの読み聞かせの「三びき」とどこがどう違うかを比べながら聞けるのだから、他の方より、二倍も三倍も面白いものですよ』

くらいですまされ、発言者はそれだけに結構喋った甲斐があり、本当に満足して楽しんでくれるものでしたが、ここでは少々違いました。そのやりとりのとき、舞台の袖に控えていたこの日の会の別の司会者らしい女性が、ツカツカと登壇してきて、先生と女の子のやりとりに入ってきたのです。

 そして女の子だけに喋るのではなくボランティアの母親たちを意識した口ぶりでお話の解説を加えるではありませんか。彼女の話は一ことではなく次のようなものでした。

「三びきの子ぶたは、いろいろなストーリーで語られていますが、もともとイギリスの代表的な有名な古いお話です。狼が次々に豚の子どもを食べていきます。それが本当のお話です。××先生も先日まで、その話などを調べるために、わざわざイギリスまで出かけ、戻ってこられたところです。だから今日は、そのホンモノのお話が絵本になっているイギリス本家の絵本を読み聞かせていただくことになっています。ついでに絵本だけでなく今も語られるホンモノの昔話を伝えているイギリスの人々の暮らしなんかもお話ししていただきましょう。よかったですネ」。

 この担当者の発言に刺激を受けたのは、お母さんたちです。何と一斉に日本の絵本「三びきの子ぶた」論が交わされ始めたのです。最近ボランティア向のスキルアップ(?)講座などで昔話や伝説のストーリーが勝手に歪曲されては困ると話を聞いたのでしょう。その上に何と××先生がその批判される我が国の絵本も二、三冊持参されていたことがわかり、火に油をふりかけるように、大人たちの井戸端会議風の議論が拡がったみたいです。

 こうなると読み聞かせを期待してきた正客の子どもたちが忘れられ、自然に第一部の終わったあとの休憩のような様子になって、何が何だか分からないうちに終わって、肝腎の読み聞かせも続けられなくなって解散となり、私も草臥れて戻ってきました。

 トンでもない会になりました。皆さん方の感想をお聞きしたいのです。(この項つづく)


「絵本フォーラム」77号・2011.07.10



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