えほん育児日記
〜絵本フォーラム第78号(2011年09.10)より〜

今、思うこと

内藤 直子 (絵本講師)

 東京電力福島第一原発の大事故が起こって以来、四季の移り変わりも季節を彩る行事もスーッと音もなく通り過ぎ、私は霧の中を手探りで歩いているような感覚で日々過ごしています。

 もうこの日本は、安全で美しい山河に囲まれた国ではないということ。今は童謡の『故郷(ふるさと)』や『赤とんぼ』に歌われた国ではないのだという思い。そして、祖先から受け継いできた安全で美しい国土を、今、大人である私たちが、子どもたちに引き継げなかった責任。私たちがこの世から去っても、私たちが犯した罪業は、永久に残っていくということ……。

 頭の中に色々な思いが浮かんでは消えます。もう 3 月11日以前に東北が戻れないように、私の心も「昨日の日常」に戻れそうにありません。

 この原稿を書かせていただく機会に、私自身の考え、気持ちをしっかりと見つめたいと思います。

 日本人は、自然を支配するという欧米人に対して、古来より自然と共生してきました。それが、いつしか国策が欧米に追いつき追い越せという考えになったからでしょうか、自然も人智で克服出来ると思ってしまったのでしょう。

 今まで日本人は、幾多の大きな天変地異から立ち上がってきました。しかし今回は、人間の叡智をもってしても解決策が見つからない、コントロール不可能なモノ(原発)に手を出してしまったのです。

 私は、自分がどう生きたいのか? どんな人間でありたいのか? どのような日本を子どもたちにバトンタッチしたいのか? 生きていく自分軸をしっかりと定めたいと思います。それが今、私がしなければならないことだと考えます。以前も社会の動向に対して無関心ではなかったけれど、国が決めることに何の疑問も持たないで日々を過ごしてきました。しかしそれではいけないことを今、痛感しています。

 今般の「原発事故」に対して、原子力発電を推進してきた学者や企業人の反省の言葉を、私は未だ耳にしていません。過去の政策の誤りを素直に認め、真摯に謝罪するところから、未来への一歩が踏み出せると思います。

 自然・地理・地質的に全く同じ国はありません。日本の気候風土に相応しい日本の在り方があり、日本人の暮らし向きがあると思います。

 この国に生きる国民としての責任と自覚を持ち内向き思考ではなく、しっかりと国の行く末を見つめ考えなければならないと思っています。一人一人が、今こそ、子どもたちに何を伝えたいのか、何を残したいのか、真剣に考える秋(とき)だと思います。

 日本の美しい自然を破壊してまでも、今以上の豊かさと便利な社会を求め続けるのか、多少不便になっても自然と共生し、謙虚に生きることを選択するのか。

 本当の「幸せ」とはどこにあるのでしょう。本当の「豊かさ」とは何なのでしょう。

 科学技術が発達して行き着くところはどのような社会なのでしょうか。

 この国のあるべき姿、針路を子どもたちに指し示すことが、かけがえのない国土を放射能で汚染し、不安な国にしてしまった我々大人の最低限の為すべきことだと考えます。

 最近、曾祖母と二人の祖母の生き方を折りにつけ思い出します。祖母たちは、慎ましく「お蔭様で」の気持ちが日々の言動に表れ、「お天道様が見ていらっしゃるよ!」とよく幼い弟や私に言ったものでした。あの祖母たちと暮らした日々に私の生きたい生き方があるように思います。祖母たちは、日々、丁寧な時間の過ごし方をしていた気がします。人にも物にも丁寧で、心をかけていた気がします。

 便利な世の中は、時間をもぞんざいにしてしまいます。その結果、人に対しても物に対しても粗雑になり、そして自然にも、共に生きる生物にも驕ってきたように思えます。

 かつての日本人は、自然に感謝しながら、「足ることを知る」生活をしていました。心を配り手間をかけ、知恵のある生き方でした。日本人としての誇りを持ち、日本の文化・風土・慣習を大切にしていた姿を今こそ子どもたちに伝えていきたいと思います。

 子どもがどんな子に育って欲しいかと同様に、私たち自身がどんな人間でありたいかをしっかりと自覚して生きる姿を子どもに見せていくことも大切だと考えます。

 子どもたちが、豊かな自然に囲まれた美しいこの国で、心の底から笑える日が来るように、また日本を愛し日本人として誇りがもてるように、この国の素晴らしさを語り伝え、守っていきたいと思います。

(ないとう・なおこ)

前へ ★ 次へ