えほん育児日記
〜絵本フォーラム第78号(2011年09.10)より〜


 京都大学原子炉実験所を訪れたのは、蝉しぐれが降り注ぐ暑い日でした。小出先生は研究室のある建物の前まで私たちを迎えに出てくださいました。 先生の研究室には、小さな扇風機が一台と、小さな蛍光灯がひとつ。今はどこへ行っても寒いぐらいに効いているクーラーや、昼間でも煌々とともっている明かりに慣れてしまっている私たちにとっては薄暗く感じるこの部屋も、今まで原子力発電と向き合い戦ってこられた先生にとっては「日常」なのです。

原発推進は「正気の沙汰」ではありません

大長咲子 原子力発電が危険なものだと分かっていながら、今なお政府や電力会社が原子力発電をやめないのは何故なのか。政治家は危険の上に原子力開発が成り立っているということを今まで本当に気がついていなかったのでしょうか?

小出裕章 原子力を専門にしている研究者であれば原子力が危険を抱えているということをみんな分かっています。ただし、今度のような事故は起きないだろうと思っていた。私自身も半ば油断があったと思います。私は「起きる。起きる」と言っていた人間なのですよ。この私でさえ実際に起きてみると「こんなことが起きちゃったんだ」と夢を見ているような気持ちになる。私でさえこんな風なのだから、今まで原子力の旗を振ってきた学者たちは(今回の事故に対して)「こんなことは起きっこないよ」と思ってきたと思いますよ。ですから彼らが今、この事故を見ながらどう思っているかは私には分かりません。

大長 「フクシマ」の事故の後、私のような素人が本を読んだり新聞を読んだりしながら少し考えただけでも「原子力は怖いものだ。すぐにでも止めて欲しい」と思う訳ですが、どうして政府は原発を止めるという決断ができないのでしょうか。

即刻止めても停電などありません

小出 推進した人に聞いてください。私は「正気の沙汰」ではないと思っています。こんなことが起きていて尚且つ、いまだに原子力発電所は動いているのですよ。それが信じられない。私は、即刻、全部止めればいいと思っているのです。ただ、今、国や電力会社が何と言っているかというと原発を停めたら停電しちゃうと言っている。でも、それが嘘なのですよ。原発なんて即刻すべて止めても、他に発電所はちゃんとあるし、停電も何もしない状態なのに、彼らはいまだに嘘をつきながら人々を脅かしているわけなのですよ。そして節電をしろと。いい加減にしてくれと私は思うけれど、しかし彼らはいまだに原子力発電をやりたがっている。例えば経団連の人の話を聞けば原発を止めたら雇用がなくなっちゃうとかね、日本の産業が空洞化してしまうとかいっている。しかし、産業が空洞化しようがこれだけ放射能汚染で苦しんでいる人がいることを考えれば、そんなことが何なんだと思ってしまう。でも、今まで日本を動かしてきた人たちの考え方はそうではないということですよ。経済発展、そして一年間に必ず何パーセントか経済を拡大していってお金持ちの国になってそのお金を使って自衛隊という軍隊で世界最強に近い軍隊を作って国連の常任理事国になりたい。そのためには核兵器を持つための潜在的な力も懐に入れておかなければならないということで、ずっとやってきている。

大長 私たちは、絵本講師としてまた、普通の母親として子ども達の未来の幸せを願ってやまないのですが、この現状を子育てする人々にどう伝えていけばよいでしょうか。

小出 私は、時々、あちこちの集会に呼んでいただいて行きますけれど、何年か前の集会で挨拶をされた主催者の女性が言ったんですね。「私は子どもたちに嘘をついてはいけない、そして自分が間違えた時には謝りなさいと教えてきた」と。それだけです。それを教えてくれたらいいのです。子どもたちにも。それをやらない大人が多すぎる。今の日本には……。

「各々止むなき表現をなせ」

大長 この期に及んでも、なぜ、原発を止めてくれないのかなというジレンマがある。しかし、自分自身が今回の「フクシマ」の事故が起こるまで、原発問題に向き合ってこなかった反省もしている。こんな私たちは今後どう考えて行動していけばよいのか。

小出 賢治さんが言っている《世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。個性の優れる方面において、各々止むなき表現をなせ》と。私はこんなことしかできないが、原子力の専門家として私のできることをやろうと思っています。皆さんは絵本を作る、絵本を語る人たちを育てるという立場にいるわけで、それを活かして活動してくださればいい。

大長 原発事故に関しては、あまりにもショックなことが多すぎる。自分では今まで、少しは問題意識があるほうだと思っていた。しかし「フクシマ」以降、自分自身の無知に猛省しています。

小出 それは、しょうがないのですよ。日本という国が原子力をやると決めてしまって、電力会社、巨大原子力産業、土建屋さん、マスコミ、教育界、学会を含めて、みんなが嘘をつきとおしてきた。ですから日本人の一般の人々はその嘘に騙されるということは、仕方のないことだと私は思います。戦争中に日本国民が騙されたのと一緒で仕方のないことだと私は思うけれども、でも、騙されたことを仕方がないといってしまうと、また次に騙されるということになるので、騙されたことが分かった時には、ちゃんと反省しないといけないはずだと私は思うし、騙された人たちにも責任は付随していると思う。戦争の時の日本国民にしてもそうだし、原子力に対しての今の日本人に対してもそうだし。仕方のないことではあるけれども責任がないわけではない。

 何にも不思議なことを私は言ってないと思うんですけど、そんなことは全然通用しない。少なくとも今までは通用しなかった。

大長 「フクシマ」の事故以前と以降とでは、状況は変わったとお感じになりますか。

小出 だって皆さん、こうして来てくださっているじゃないですか(笑)

大長 先生に対する取材が増えたとか、細かなことはたくさんあると思います。もっと大きなところで何か動いていると感じられることはありますか。

小出 動いて欲しいとは願いますけれども、本当にこれで原子力を止められるかどうかということを考えると、またこれでもダメなのかもしれないという気持ちはありますね。でも、確かに変わってきたなと思わないわけでもありません。

有名人の発言より無名な人の行動がたいせつ

大長 いま、様々な著名人、有名人が原発反対への表明などをされていますが、世の中に影響を与えていると思いますか。

小出 あるのでしょうけど、私は有名人の発言なんてどうでもいいと思っています。そうではなく無名な一人ひとりの人たちがどう思ってくれるか。それだけが勝負だと思っています。

 チェルノブイリの事故が起きた後、 86 年の秋にオーストリアのウィーンでアンチアトムインターナショナルという会議があった。反原子力国際会議とでもいうのでしょうか。私はそれに行ったのですけど、ウィーンの町ってご存知ですか。市街地の真ん中にホーフブルクという宮殿があるんですけれど、あちこちから鉄道がウィーンに集まるかたちでひかれている。その方々の駅から中心のホーフブルク宮殿にむかってデモをするということがあった。私たちは北駅という駅に行ったと思うんですが、開始時刻の少し早めに行くと誰もいないんですよ。主催者だけがポツンといて。「こんなことでいいのかな」と思い「これで大丈夫なのか」と主催者に尋ねてみると「これでいい」と言う。そしてしばらく待っていると、三々五々だんだんと集まってくる。その集まってくるというのも、当時の日本のデモというイメージでは、なんとか労働組合が動員をかけてみんな同じゼッケンをして腕を組んで歩く、そういうデモしか私にはイメージはなかったんですけど、ウィーンのデモというのはそうじゃないのですよね。一人ひとりが、てんでばらばらに、ある人はサンドイッチマンのような格好で看板をかけて歩いているし、ある人は乳母車を押しながら来たり。誰かに言われて動くというのではなくて、自分の中から沸きあがってくる声でそれを発信する。そういう人たちが参加するデモだった。そしてやっている間に、どんどん、どんどんそれが膨れてくる。

「お上意識」をなくし自立した個人を

大長 まったく、個々の意見なのですね。

小出 そうです。一人ひとりの人たちがどう考えてどう声を上げるかということであるし、それがすごい事なのだと。オーストリアは「ツエッペン」という原発を作って、ほぼ完成していたんですけれども、それも国民の投票でやめさせました。こういう人たちだからこそ出来るのだとその時感じました。

大長 オーストリアの社会または国家自体が個人の意識が高くそれを尊重するということでしょうね。

小出 そうです。一人ひとり、個々の意識が高いと言うことです。自立しているというか、日本のようにお上意識が高くないのではないでしょうか(笑)お上が言っていれば間違いない、というような意識が国民にない。そういう人々が普通に生きられる社会なんだと。そういった社会であれば原発なんて、出来っこないと思うんだけれども日本は全然そういう社会にならないまま今日まで来てしまった。でも今回の「フクシマ」の事故が起こってしまってからは、結構そういうデモが日本のあちこちでもあるじゃないですか。労働組合でもなんでもない人や、誰かが呼びかけて、インターネット上でツイッターとかいうんですか、私はやったこともないんですけど、そんなことをやってるうちに、みんなが集まってくる。ひょっとすると変わるかもしれないと思っている。

大長 少しでも日本が変わることを願っています。

小出 ありがとうございます。

 今は夏休み。涼しい午前中にこの原稿を書き上げようと、子どもたちが宿題をする傍らでパソコンに向かいながら、ふと、「お昼ご飯は何にしようか」とキーボードをたたく手を止め、米を研ぎました。研ぎ終えた米は1時間もすれば、炊き立てのご飯になるでしょう。かまどに薪をくべることも知らない私が、この電気炊飯器の火はどこからどうやって来るのか。なんの疑問も持たずに、あたりまえに、日々の食事をしてきました。「フクシマ」以降、やっと芽生えた問題意識。これから子育てをしている皆さんに、絵本講師としてどう伝えていこうか……。これからの私たち一人ひとりが、今現在のこの問題を考え続けることが大切なのだと実感しました。(だいちょう・さきこ)

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