えほん育児日記
〜絵本フォーラム第82号(2012年05.10)より〜

『振り向かない人』を振り向かせる挑戦

うつのみや かおり(絵本講師)

 「金沢の天気は廻り舞台」この言葉通り何度も寒の戻りを繰り返し、ようやく訪れた春の陽気。光あふれる金沢市立玉川子ども図書館では、今日もたくさんの親子が思い思いに絵本を選び、読み聞かせをしている。その様子を嬉しく眺めたあとに入ったレストラン。お隣の席には3組の若いママと子ども。灰皿に積み上がる吸殻を見れば、もうずいぶんと長時間居るのだろう。子どもたちはそれぞれ携帯型ゲーム機に夢中になり、母親たちは彼らを一瞥することもなくお喋りに興じている。…嗚呼、ふたつともに現代日本の「子育て現場」だと、つくづくと思う。

 ここ石川県には子ども図書館が2館あり、一般の図書館の数も多い。かねて「天下の書府」と称された面目躍如であろう。子どもが絵本に親しむ環境は十分に整えられている土地だ。読み聞かせボランティア活動や文庫活動も盛んで、図書館でも公民館でも、様々なところで読み聞かせ活動が行われている。官民一体となっての精力的な絵本の推進活動には、いつも頭の下がる思いでいる。

 しかし、と私は思うのだ。本当にそれだけでいいのだろうか、と。
 先に挙げた例を引くまでもなく、親や周囲の大人が「意識高く」子どもを絵本に触れられる場へと連れて行ってくれる「選ばれた子」にとっては充実した絵本環境だろう。では、周囲の大人の「意識が低い」環境で育つ子は、どうなるのか? 自発的に図書館なり文庫なりにみんなが足を向けるとは、私には思えない。
 絵本という一点を以てしても、明らかに「育児環境の二極分離」は起きているのだ……。それも、奔流とでも云うべき速さで。
 私は、後者の子どもたちにも手を差し伸べたい。ひとりでも多くの子どもを、この急流から掬い上げたいのだ。

 そのために、絵本講座と絵本ライブという2つの手法を私は選んだ。絵本講座は女性の、絵本ライブは男性の参加者が目立つのも特徴的である(※1)。
 保護者会主催の絵本講座に参加する人の中には、見るからに不承不承そこにいるという風情の方もいる。かつて、こんな方がいた。
 100名ほどの園児の保護者の中で、明らかに不機嫌で興味がなさそうな様子のお母さんと、そっくりな小学校高学年の男の子二人が、演台の真正面に座っていた。一瞬ドキッとしたが、気を取り直して90分の講座を終えた、その直後。「先生。うち、今からでも間に合いますか?」そのお母さんに声をかけられた。彼女はこれまで「1回も」家庭での読み聞かせはしたことがなかったと正直に打ち明けてくれたあと、「留守番させるのも嫌で連れてきた兄ちゃんたちが、あんなに先生の読み聞かせを真剣に聞いているのを見て……。私も、読んであげたいな、と思って……」「大丈夫、間に合う。でもね、お兄ちゃん達はこれからスポーツや勉強で忙しくなるから、お母さんはほかの人の3倍は努力するつもりでね。でも絶対に間に合うから」
 そう言って彼女の背中を撫でた時に、私の膝には彼女の大粒の涙がいくつもこぼれ落ち……。後日、3人の子への読み聞かせ実践の決意が表裏びっしりと書き込まれた彼女のアンケート用紙が私の元に送られてきた。

 これこそ、絵本講師の仕事ではないだろうかと思った忘れがたい一件である。
 そして、音楽療法に基づいて作曲するピアノとの大人のための絵本ライブ(※2)。
 私のライブには、様々な方々が訪れる。中には普段から絵本に親しんでいる方もいるが、「絵本なんて久しぶり」だという方が多い。そんな方ほど、「最近は映画でも泣いたことがないのに…」そう云いながら目頭を拭いていたりする。絵本が、大人のこころの琴線に触れた瞬間だ。これをきっかけに絵本に関心が湧き、書店を訪れるたびに絵本コーナーに立ち寄るようになったとか、親戚の子に絵本を贈ったという報告を戴いた時の嬉しさは喩えようもない。

 「絵本っていいですね」そう言って素直に耳を傾けてくれる人ばかりが世の中ではない。
 「絵本には興味がないから」そう決め付けて振り向かない人を「絵本に振り向かせる」……。
 私の挑戦は、これからも続く。それが、いずれきっと子どもたちの未来につながると信じて。

 ※1 『共感する女脳、システム化する男脳』(バロン・コーヘン・2004年)によれば、女性脳は心の理論が得意であり、男性脳は空間の視覚的認識が得意である。心の理論とも云える講座の受講者に女性が多く、場の空気感を味わうライブに男性の参加者が増えている所以ではないかと筆者は考える。

 ※2 演目によっては著作権が厳しく、勝手に曲を付けることが許されていない作品もある(『1000の風1000のチェロ』など)ため、その場合は著者の監修のもと作曲されたものを許可を取って上演している。

                  (うつのみや・かおり)

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