えほん育児日記
〜絵本フォーラム第85号(2012年11.10)より〜

家族は世代が集まる一つの社会

川口 結実(絵本講師)

 私の母は仕事人で多忙なため、事務的な連絡はスマートフォンのメッセージ経由でくることが多い。私は、2番目の姉と名前が一字違いなので、姉に送るメッセージを私に送信してくることが多々ある。また、私に送信するメッセージを姉に送ってしまうこともあるらしい。時には、誰に送ったのか? メッセージの主旨が分らず、送られた当人が困惑してどうすればよいのか途方に暮れることも少なくない。

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  そんな母の信条は、「連絡事項は郵送物の如く、切手を貼ってすぐに送るべし」である。つまり、郵便物は住所を書き切手を貼って投函すれば、こちらが何もしなくても郵便物として宛先に届けてくれる。連絡事項も、メモやメール、電話などで相手に伝えさえすれば、相手に伝わった時点で物事が先に進む。伝えることが大切だ。至極最もな例え話であるものの、ビジネスの現場に長年居続ける母が言うと含蓄があるから不思議である。
 母は、そんな信条を持ってまでも物事を忘れた時の弁解として、「私の頭の引き出し、色々入っていて一杯だから。たまに入りきらなくてこぼれちゃうのよ」という。人間の計り知れない記憶容量を「引き出し」に例えているのだが、ここまで開き直って言われると、忘れたことにたいして何も非難はできなくなる。
 茶目っ気たっぷりな母には、これからも子ども達や孫達を煙にまきながら上手に年をとってもらいたいものである。

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 絵本講師となり、親子で絵本を楽しむことの大切さをお伝えするため日々思考を重ねている私は、ある時この「引き出し」の話がストンと腑に落ちた。人間には、母の言う「頭の引き出し」の他に「心の引き出し」もあるのだということ。そして、乳幼児期には「心の引き出し」の中身を溢れんばかりに満たすことが大切であるのだということ。
 親は、子の将来を思うあまり、とかく「頭の引き出し」を満たすことに躍起になりがちである。また、「頭の引き出しと心の引き出し」が同じ一つの場所にあると思っている人も多い。子どもにとって本当に大切なのは、親子で共に実体験を重ね、子ども自身が「嬉しい」「楽しい」「大切だと思ってくれる人がいる」と実感できる経験を積んでいき、「心の引き出し」を満たしてあげること。それを、子どもと共に出来る一番身近な大人が、(いうまでもないが)両親や家族なのだ。心身共に飛躍的な進化を遂げる乳幼児期においては、尚更のことである。
 また、この2つの引き出しは時間を感じる身体感覚とも密接な関係を持っていると思う。記憶と同時に、時の経過も関連しているのだ。オギャアとこの世に産まれ出てきて、年を重ねるのと同時に、時も記憶も同時に刻んで「増える」のだ。家族は、世代が集まる一つの社会。この時間を感じる感覚が、年齢によって違うということにも是非着目してほしい。つまり、親の時間的感覚と、子どもの時間的感覚は違うということ。この世代の時間的感覚を埋めるのが、親子で読む絵本の時間なのである。忙しい世の中ではあるが、1日一冊、ほんの数分の間だけでも、親子で絵本を開いて、時間的感覚を共有してお話しの世界に浸ってほしいと切に願う。

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 私は現在、絵本講師業と平行して、整体の勉強も行っている。整体を学ぶ上で必須なのは、身体の仕組みや機能を知る「解剖・生理」の授業だ。大げさに聞こえるかもしれないが、身体の仕組みをきちんと知っていないと、施術を施す方の身体を傷つけてしまう危険性が増す。安全性を高めるためには、身体の中がどうなっているのかを最低限知る必要がある。先生は、「この世界は知れば知るほど身体のしくみの複雑さを知り、奥深さを知る。そして、危険性を知ることで施すことが怖くなるものだ」と、常日頃仰っている。絵本講師の仕事も同様で、絵本をご家庭に取り入れてほしいと願い、様々な書物を読んだり現代の子育てにおける状況や、子どもの育ちに関する状況を目の当たりにすればするほど、世の中が恐ろしくなる。どうか、少しの時間でもいいので、皆さんのお子さんが「子どもが子どもらしく日常を過ごしているか?」ということに思いを馳せて、軌道修正しながら絵本で子育てを楽しんで欲しいと願う毎日である。

                    (かわぐち・ゆみ)

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