たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第85号・2012.11.10
●●74

しなやかに生きる女性のしたたかで大きな人生

ルピナスさん』

 10月、女子には教育はいらないとする勢力に、女子だって学校でちゃんと学びたいとブログで訴えたパキスタンの十四歳の少女マララ・ユスフザイさんがスクールバスのなかで銃撃された。世の不条理を素直に記し訴えた少女に瀕死の重症を負わせるとはいったいなにごとなのか。怯えて暮らさなければならない社会がまだまだ存在することに、ぼくは強い怒りを覚える。それにしても、少女のつづけた正義の発言は人々をどれほど勇気づけたことだろう。


  日本でも女性の活躍が目立つ。一昔前70年代にも中ピ連など物申す強い女性たちが登場した。それは才長けた女性リーダーらが男社会の矛盾に抗して拳を振り上げた。だが、近年の女性たちは男勝りに拳を振り上げるようなことはなく、したたかではあるがしなやかに世を動かしているように思う。

 たとえば、緒方貞子女史、国連を舞台に世の不条理に向き合い、3・11ののちも東南アジアへの原発技術輸出をくわだてる日本政府を、まったく理解できぬと当然のように叱責する。戦下に生きる子どもたちに寄り添う報道を続けた山本美香さんは命を賭して戦争の実相を知らしめた。彼女たちは決して拳など振り上げず、一日一日の確かな活動の中で世の実際を伝え、正義とは何かを世に問うている。柔軟でしなやかな彼女たちの活躍はたゆまない努力とゆるぎない信念に裏打ちされていると思う。ロンドン五輪でも日本選手団を支えたのはしなやかな女子選手たちの活躍ではなかったか。彼女たちに国家を背負うなどの変な気負いはない。
 一方、男たちの影が薄い。若者は草食男子などと揶揄されるし、政財界も統治不全や経済停滞を放置する。もとよりリーダーなく、見苦しい処世愚策に堕しているだけだ。


 女性たちのしなやかさから、ぼくは学びたいと思う。そこでひとつ、アメリカ版しなやかな女性を発見した。バーバラ・クーニーが描く『ルピナスさん』だ。彼女は、小さなおばあさんだが、世界各地で生活体験を重ねたすてきで大きなおばあさんである。

 少女期にアリスと呼ばれた彼女とおじいさんとのあたたかな繋がりがとてもいい。ずうっと前にアメリカの海辺の町に渡ってきたおじいさんは看板や船首像を創る広告美術職人でふところ深い好々爺のようだ。アリスはいつもいっしょに過ごし、夜にはおじいさんの膝上でおはなしを聞いた。何度となく聞く遠い国々のはなし。アリスは「大きくなったら、わたしも遠い国にいく。そして、おばあさんになったら、海のそばの町に住む」と夢を語り約束にする。だが、おじいさんはもうひとつ、「世の中を、もっと美しくするために、何かしてもらいたい」と条件をつけるのだ。

 何だか牧歌的だが、こんな破天荒な約束を、ぼくらは交わすことができるだろうか。ところが、アリスはこんな三つの約束を永い年月をかけて果たしてしまい、ルピナスさんと呼ばれるようになる。
 成人したアリスはまず、海から遠い町の図書館員となる。そののち南の島へ渡り、年中雪の高山へと転じる。ジャングルに分け入り砂漠を横断する生活も体験する。それらの土地で彼女は如何に忘れられない多くの人々に出あったことか。で、齢を重ねた彼女は念願の海辺の町にやってくる。
 二つの約束は果たしたが、三つ目の約束が果たしたのは白髪目立つおばあさんになったころ、家の周囲の岩場を耕して花の種を蒔いたことからのことだ。翌春、蒔いた種は岩の間から花を咲かせる。青や、紫や、ピンクの花…、彼女の一番好きなルピナスだった。
 夏になると、海辺の村のあちこちを種蒔きしながら歩き回る彼女がいた。周辺の住民からおかしなおばあさんと蔑まれるほどに蒔いて回る。…で、春がくると、村中のあたり一面がルピナスの花であふれるではないか。世の中は従前よりもっと美しくなる。かくして、アリスはルピナスさんと呼ばれるようになり、三つの約束は成就した。

 ひ孫の少女が語るというストーリー展開は、ひ孫の友だちがルピナスさんってどんな人だろうとやってくる場面でおしまいとなる。そこで、かつて、おじいさんの膝上で交されたアリスとの三つの約束シーンが再現される。


 20世紀をしなやかに生き抜いたクーニーが自然や大地の豊かさを享受して自立する女性をしっかと描き上げた好作品。クーニーの感性・心性もこうでなかったかと彷彿とさせられる作品である。


       『ルピナスさん』(バーバラ・クーニー/作、掛川恭子/訳、ほるぷ出版)

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