えほん育児日記
〜絵本フォーラム第85号(2012年11.10)より〜

無関心でなく、無神経でなく、真実を自分自身で確かめて判断する人間であれ

 『うわさごと』

梅田俊作/文・絵、汐文社

中村 史 (絵本講師)  

 『うわさごと』は今年6月に刊行された梅田俊作氏の新刊絵本である。
 冒頭、ランドセルを背負った《わたし》は《わたしのわるくち言いふらしてるってきいた》からと、学校からけんかをして帰ってくる。そんな孫娘に《じいちゃん》が子どもの頃の話をしてくれる。
 《ぼく》で語られるじいちゃんの子どもの頃とは、終戦直後の話である。
 5年生の《兄ちゃん》は、広島から転校してきた同級のケンゴととっくみあいのけんかをした。その理由は《広島の子》は《ゲンシ病をうつす》から。そのことを《だれもがみんな 言っとる》から。そう言う《兄ちゃん》を、《父ちゃん》は一喝する。《「ジンピンゲレツ!」》と。《父ちゃん》は《兄ちゃん》と《ぼく》を連れて、よそゆきの服に着がえてあやまりに行く。

 そんなエピソードで始まるこの絵本では、《うわさごと》によって、根拠なく、また自分で真実を確かめることなく、憶測で人のあれこれを判断する人間のさまが描かれている。
 ケンゴは、原子爆弾で母と姉兄を失い、父は戦争に取られたまま帰ってこず、身を寄せていた祖母が亡くなった後、遠い親戚のガラクタ屋の老夫婦にひきとられている。広島から来た「ヒバクシャ」への排斥は、ガラクタ屋の老夫婦にまで及ぶ。



 《ぼく》は、一緒にいた《仲間》がガラクタ屋の《じさま》をはやしたてる場面に際し、思わず《じさま》の自転車の後押しをする。《ぼく》の体をつき動かしたものは何か。それは《父ちゃん》の「ジンピンゲレツ」の声であり、丸めた頭を畳にこすりつけたその姿であろう。人としての道を身をもって示した親の本気が、《ぼく》や《兄ちゃん》がどう行動するかを方向付けたのではないか。

 ヒバクシャ、ゲンシ病、貧乏、ガラクタ屋……。この絵本には、いろいろなテーマが盛り込まれており、年少の読者には理解が難しい。それでも、根底にあるのは、大人への質問がきっかけとなって生まれるやりとりから、考えることが始まればという思いであろうか。子どもの疑問に真剣に答えようとすれば、知識のみならず、これまで自分がどのように生きてきたかが自ずから問われる。絵本を読むときには、描かれた作品世界を独立したものとして読みたいが、今この時期に出版された『うわさごと』が、昨年3月の震災による原発の事故後、放射能から逃れるために、住み慣れた土地からの避難を余儀なくされた子どもたちの姿を思い起こさせるのは必然であろう。人の命よりも利益を追求するひとにぎりの人間と、無関心な多くの大人によって、日常はおろか、未来までも奪われた子どもたちの怯えや不安が、この国で何度繰り返されることか。

 広島から来た子。原爆投下時、たまたま《ばあちゃん》の家に居て、家族の中で一人助かった子。ケンゴが《ちんじゅの森》で、折にふれ口にするのが宮沢賢治の『雨ニモマケズ』である。広島から転校するときに先生から贈られたという『雨ニモマケズ』の言葉は、一人生きていく不安におしつぶされまいとする心、どんなに傷つけられても屈しはすまいという少年のぎりぎりの矜持を支えるものだったのではないか。

 この絵本のカバーの折り返しには《うわさから生まれる差別について考える絵本》という語句が記されている。しかし、この絵本が内包する世界は、もっと複雑で、もっと広がりのあるものだ。このように限定してしまわないほうが、ずっとよい。

 作者は、《うわさごと》で被爆者を疎外する人間を冷ややかに糾弾しはしない。差別をする人間は、今も昔も存在すれば、それを《ジンピンゲレツ》と迷いなく叱り飛ばす大人も存在する。同じ人間が、どの立場にも立ち得る。私たちはどう行動するのかと、この絵本は呼びかける。物語を引き継いでいくのは、読み手一人一人なのだと。

 絵本の本文以外にも、作者の人となりが想像される箇所がある。それは、巻末に全文が載せられた『雨ニモマケズ』の中の「ヒドリ」の表記である。「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」は、賢治が手帳に書き付けた原文そのままである。梅田氏が『雨ニモマケズ』をひくとき、「ヒデリ」の誤記説をとらずに原文のままを選んだところに、氏の人に向かい合うときの本質的な感覚、物事のとらえ方が表れているのではないだろうか。 無関心でなく、無神経でなく、真実を自分自身で確かめて判断する人間であれと、やわらかな色調で描かれた絵の中から、作者の声が聞こえるようである。(なかむら・ふみ)

プロフィール
 1973年高知県生まれ。奈良女子大学文学部国語国文科卒業。県立高校教諭を経て、現在は3人の子どもの子育て中。兵庫県姫路市在住。

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