えほん育児日記えほん育児日記
〜絵本フォーラム第86号(2013年01.10)より〜

時間や空間を自在に行ったり来たりの記述に身を任せられる心地よさ

 『惜櫟荘だより』

佐伯泰英/著、岩波書店

吉澤 志津江 (絵本講師)  

 熱海に惜櫟荘と名付けられた建物があるという。今から七十年余前の1941年に建てられた日本建築で、建築家は吉田五十八だという。惜櫟荘の存在そのものも、吉田五十八という建築家のことも知らなかった私がこの本を手に取ったのは、惜櫟荘が、岩波茂雄が静養のために建てた別荘だとわかったからだ。
 岩波茂雄といえば、出版界のビッグネームだ。岩波書店を創業した人物として知らない人はいないだろう。とりわけ、長野県の諏訪の人間に、彼の存在は大きい。 1881年諏訪市の農家に生を受けた岩波茂雄は、15歳で父を亡くすと、戸主として母親を助け農業をしていたが、18歳の時に進学のために上京する。1913年32歳の時に、古本業岩波書店を開業。その後それを足掛かりに出版業へと乗りだした。
 一方、吉田五十八は1894年生まれ、近代数寄屋を提唱した日本近代を代表する建築家だ。数々の建築を手がけ、1964年には建築家としては二人目となる文化勲章を受章している。

 さて、その岩波の別荘惜櫟荘を、縁あって譲り受けたのが、本書の著者佐伯泰英。本書は、岩波書店『図書』連載に加筆された、著者初のエッセイ集となる。
 佐伯と惜櫟荘との出会いは、2003年秋だ。東京からのアクセスのよさを考え、その寂れようが気にいって熱海に仕事場を持った佐伯は、急な高台に建つ仕事場と階段を共用するのが、岩波別荘の惜櫟荘であることを知る。そして、自身の仕事場から一段海側に下った場所に立地する惜櫟荘の庭に、初めて入った時の印象を「歌舞伎、長唄と江戸の芸能に通暁した吉田五十八の感性と信州人岩波茂雄の海への憧憬の結果がそこにあった。」と書いている。
 熱海に仕事場を設けて三年後、体調を崩し仕事の中断を余儀なくされたとき、佐伯はこの仕事場で、体調を取り戻し仕事を再開する。そんなとき、岩波の代理人から惜櫟荘を手放すことになったという挨拶がある。衝撃に言葉を失った佐伯は、惜櫟荘番人に名乗りを上げた。この建物と景観が消えゆくことを惜しんで番人になってはみたが、痛みの激しい惜櫟荘をどう活用するかのアイデアがあったわけではない。考えた末、岩波茂雄と吉田五十八がイメージした建物への修復に心を決める。施主佐伯、吉田五十八の愛弟子の建築家板垣元彬、惜櫟荘を知る水沢工務店の三者で「何も付け足さず何も削らず」の基本路線を合意し、2010年4月12日いよいよ修復がはじまる。それから1年2か月後、吉田五十八が「一番、自分で好きなのは、熱海の旧岩波茂雄邸と、旧杵屋六左衛門邸……」と表明していた、その惜櫟荘修復が完成した。
 この間の解体修復工事によって、建築家吉田が、建築主岩波の注文にこたえるために施した、独創的な工夫の数々が解き明かされていく。そのプロセスはノンフィクションであるはずなのに、まるで一つの物語を読んでいるかのような錯覚さえ覚える。ページのそこここにさしはさまれた写真が、より一層想像を掻き立てる。
 描かれているのは熱海での出来事ばかりではない。若き日、スペインで、堀田善衛の運転手兼小間使いとして働いていたころの、著者のさまざまなエピソードや、惜櫟荘に導かれての様々な人々との出会いなどが、事細かにつづられた修復過程の合間に織り交ぜられる。
 何より文章の歯切れの良さに驚く。淡々と語られるのだが、その故か、出来事が目の前にくっきりと像を結ぶ。今と昔、スペインと熱海、光と影、雨と晴れ、時間や空間を自在に行ったり来たりの記述に身を任せられる心地よさがある。

 佐伯泰英といえば、今や書店の棚に何冊もの著作が並ぶ人気時代小説家だ。しかしここに至るまでには、出版社から事実上の廃業宣言を受けるなど決して平らかな道ではなかったらしい。文庫書き下ろし時代小説という新しい出版の形態に乗って、多い時には年間出版点数12点を数え、月刊佐伯と揶揄されたこともあるという。しかし、シリーズ累計四千万部、その売り上げが、惜櫟荘買取と修復の原資になったと、あとがきに書く。
 「佐伯、作家という者はね、文庫化されてようやく一人前、生涯食いっぱぐれがないものなんだよ」という、堀田夫人の誇らしげな言葉を今も著者は思い出すという。文庫という形態は、1927年に古典の普及を目的として発刊された岩波文庫が日本での嚆矢だが、八十年の時を経て、文庫本の立ち位置は大きく変わってきた。読み継がれるべきものしか載せなかった文庫が、読み捨てられるものをいとも簡単に載せるようになってきている。「低所高思」の思いを持った文庫創始者岩波茂雄と、読物作家として文庫を増産する佐伯が、惜櫟荘によって結ばれる、これもまた活字が結ぶひとつの縁なのだろう。
 紙に印刷された活字の運命を危ぶむ声も多く聞かれる時代だが、惜櫟荘修復がつづられたこの本に出会え、私は読む喜びを堪能している。今後続編として「惜櫟荘の四季」も『図書に』連載されるという。
                                     (よしざわ・しづえ)

前へ ★ 次へ