絵本のちから 過本の可能性

「絵本フォーラム」88号・2013.05.10

『絵本講師・養成講座』を受講して
—— 家庭に笑顔を取り戻すため ——

小田 由美(芦屋会場 9期生)

  早期退職をして長野県は八ヶ岳の麓に移り住みたいという主人の夢が数年後に迫ってきました。私はそこで何が出来るだろう、といささか気持ちが後ろ向きになっていた頃、この「絵本講師・養成講座」に出会いました。
 いつも行く書店のいつもの見慣れた本棚の中で、その日ひときわキラキラ輝いて私を呼んでくれたのが『続 絵本講師の本棚から』(NPO法人「絵本で子育て」センター)という本でした。手に取ってパラパラとページをめくっていくうちに、私の中で何か弾けるものがあり「これだ!」と本を買い、気がつけばセンターに電話をしていました。
 私は小学校を卒業するまで岡山の田舎で育ち、今のようにテレビもゲームも盛んな時代ではなかったので、夜8時には布団に入るという生活でした。共働きをしていた両親でしたが、その時間になるとどちらかが布団に入ってくれて私と妹の間で本を読んでくれるのが日課でした。
 それは時には絵本だったり、創作のお話だったり、また昔話の語りだったりと、その日のお話が何なのか子供心にわくわくしていたのを覚えています。それは私が小学校を卒業するまで毎晩続けられた我が家のお楽しみの時間でした。
 おかげで私は本の大好きな子どもに育ち、小学生の頃は自分でお話を創作するのが何よりの楽しみでした。愛読書はメアリー・ノートンの『床下の小人たち』。
 小人に手紙を書くと必ず次の日には返事が返って来ましたので、我が家の床下にも小人が住んでいるに違いない、とかなり大きくなるまで信じていました。
 今から思えば、それは両親のいたずらだったのです。おかげで私は未だに心の中にファンタジーの引き出しを持ち空想の世界に遊ぶ楽しみを持つ大人になりました。
 結婚して3人の子どもにも恵まれ、両親が私にしてくれたように私も子どもたちに絵本を読んだりお話をしたりして子育てをしてきました。私の周りも比較的同じような子育てをしていた家庭が多く、それが特別なことだとは思いませんでした。
 子育てとはそんなものだと、世間一般で憂いているような子育ての現状に目が向いていませんでした。
 最近では親の子育てに対する意識や社会環境も大きく変わり、家庭で絵本を読んでもらっている子どもは、ほんの一握りに過ぎないことを知りました。
 私は、子育てに何か役に立てることはないか、と地域の小学校や児童館で読み聞かせのボランティアをさせてもらうようになりました。12年前のことです。
 それでも私の社会に対する認識は甘く、今回この講座を受講してより切実に子どもも親も大変な時代を生きているのだと実感しました。
 無関心という負の連鎖を断ち切り、地域・家庭で生の言葉を取り戻し、笑顔を取り戻していくことの大切さを思うにつれ、「たかが絵本」が「されど絵本」に変化し、絵本を一つの拠り所として社会変革ができたら素晴らしいことだと思うようになりました。
 1年の学びを終えました。
 これからは、子育ての迷路に迷い込んでいるお母さんたちに、絵本を通して「こんなに優しい気持ちになって子どもとのコミュニケーションが取れますよ」と伝えてあげたい。
 一つでも多くの家庭にあふれるような笑顔と言葉を取り戻し、近い将来「あんなに子どもたちが荒れた時代もあったね」と笑い話になるような時代が来るよう少しでも貢献できたら幸せです。
 初日にいただいた受講生名簿。南は福岡、大分、北は岐阜・愛知という居住地名に一瞬我が目を疑いました。そんなに遠くから時間をかけて学びに来ている人がいることに驚くと同時に励まされました。
 ここでの学びは一方的に与えられるものではなく、自ら学ぼうという姿勢がなくては何も得られないという苦しさもありましたが、今となってはその苦しみや皆と語り合った楽しさの中で得た物が、私のこれからの大きな、大きな財産です。(おだ・ゆみ)



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