春。心地のいい風が、京都盆地に吹いています。思わず「スー ハ―」と深呼吸してみたところ、むせてしまいました。これは中国飛来のPM2・5のせいかもと思ったり、はたまた花粉かなと疑ってみたり……。今年の春は、例年と様相が少し違っているようです。
先日、前座席に1歳ぐらいの幼子、後ろに幼稚園ぐらいの子どもを乗せた三人乗り親子自転車を見かけました。3人揃ってマスクをしていました。1歳ぐらいの子は顔いっぱいにマスク姿。健康のためとはいえ悲しくなってしまいました。
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「わんぱく兄弟」は今年、小学2年生、幼稚園年長組になりました。4月に引っ越し。兄弟は転校転園、新たな生活が始まりました。
マンション生活になり、それぞれ子どもたちも何かを感じ、幼いなりに礼節をわきまえているようです。部屋で思いっきり壁打ちサッカーはしなくなりましたし、扉の開け閉めも、少し、ほんの少し優しい感じで閉めるようにもなりました。
エレベーターで住人の方と相乗りした際に、〈開く〉を押しながら「おさきにどうぞ」と5歳の次男がいう姿には何だか可笑しくて。でも、共同住宅で学べることもあるなあ、と感じようやく新生活も軌道に乗ってきました。
長男も転校生としてドキドキしながらも「今日お友達できた!」とニコニコ顔で帰宅してくれると、安心と同時に彼なりにがんばっている姿の愛おしさとで、思いっきり抱きしめてしまいます。
問題は私です。新しい台所はガスコンロと流し台が、以前使っていたものと左右が逆で、言い訳のようですが、どうもまだ器機操作に慣れず調理作業がスムーズにいきません。バランスのいいきっちりとした子どもの食事を、といつも思ってはいるのですが……。
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学生時代に出会った夫。好きな食べ物について話した記憶があります。お互いが『母の味』でした。
夫は「具沢山・春巻き」「具沢山・クリームコロッケ」。私が「春巻き」「俵型コロッケ」。好物が共通の春巻きとコロッケという油もので、母の味の話で盛り上がったのを覚えています。
息子たちが今思う『母の味』は何だろうかと訊いてみました。
「お母さんの作る料理何が好き? 」、長男「うーん。目玉焼き」。次男「ゆで卵!!」「…え…他は?」、次男「卵スープ!」(連想ゲームか? いや確かに好きなものだし、よく作っているかも)。「卵以外で!!」(半ば強制的に)。長男 「あ、お母さんのチンジャオロース、美味しいし好きだよ」(若干気遣い…)
最近、手の込んだ料理をしていないなと思って本当に反省しました。コロッケや春巻き、天ぷらなどは、本当に手の込んだご馳走です。家で油を使わないで済むのと、世の中の外食産業の便利さにどっぷり浸かっている、と改めて感じました。 
「ご馳走様」の語義は、〈走り回って食材を集め用意する〉という意味だそうです。感謝の意味で〈御〉と〈様〉が付いています。
今のように24時間開いているスーパーもなければ、外食を提供するお店もそんなに多くはなかった子ども時代、母たちは本当にご馳走を作って育ててくれたんだなと思います。それが今も『母の味』として私たちに思い起こさせてくれているように思います。
息子達と『ぎょうれつのできるすうぷやさん』(ふくざわゆみこ/さく、教育画劇)を読み終えたとき「おまめのスープ飲みたい」といわれ、お豆はないからと人参とかぼちゃのスープを作りました。何杯も何杯もおかわりしてくれ、最後はお皿までなめて「ご馳走様」。
私たちが親から大事に育ててもらったように、豊かな社会に甘えつつも、少しの手間と愛情をかけ食事作りをすることが本当に大切だと痛感します。
とにかく私は、早く新居の台所に慣れなくてはいけませんね。息子達にはこれからもっともっと逞しく、心も体も成長してもらえるよう、私は母として出来ることを努力してまいります。
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わんぱく兄弟の日常はまだまだ続きますが、「わんぱく日記」はこれでおしまいです。1年間のご愛読ありがとうございました(深謝)。
数年後『母の味は? 』と訊いてみてどういった返事が返ってくるのか、また、ご報告出来れば幸いです。
(かとう・みほ) |