えほん育児日記

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~絵本フォーラム第93号(2014年03.10)より~  第 5回

子どもと言葉

 私は、大勢の前で話すのは苦手だが、家ではよくしゃべる母親である。朝から子どもたちに話しかけ、私の話に子どもたちの手が止まり、夫に「時計を見て」と注意されるということもよくある。遅刻は困るが、いつもおしゃべりと笑いが絶えない親子関係というのはいいなあと思っている。子どもに甘いわけではないが、たいていのことは子どもと一緒におもしろがるので、子どもたちに「お母さん、ふつう大人はそういうこと言わないよ」と笑われる。そんな私が、子どもたちに厳しく教えていることの一つが、言葉への向き合い方である。

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 家庭は、子どもが最初に言葉に出会い、言葉の使い方を学ぶ場所である。家族の言葉、歌の言葉、絵本の言葉に囲まれて育った我が家の子どもたちであるが、成長し、その交友関係が広がるにつれ、家庭の外での言葉体験も増えていく。学校から帰ってきた子どもに、友達が使っていた言葉の意味を聞かれることがあるが、そのほとんどがテレビから発信された流行語や俗語のようである。そう伝えると、子どもは「やっぱりね、そうだと思った」と納得している。言葉というものは、耳にすれば使ってみたいものだ。罪のない流行語や、仲間意識を高めるくだけた言葉遣いについては、子どもが自分の付き合いのなかで使い分けられたらいいと思っている。ただ、それが正しい言葉遣いではないことを知っておくこと、使ってはいけない時と場所を心得ておくことは教えたい。また、人を馬鹿にする言葉などは許さず、その歴史的背景も含めてなぜ使ってはならないかを必ず説明する。私の話は長くなることが多く、そのうえ、すぐに愛用の全13巻の『日本国語大辞典』を引き始めるので、話はさらに広がっていく。子どもたちは「お母さんの“にっこく”がでたあ」と笑いながらも、頭を寄せ合って話にちゃんとついてくる。私の長話も、辞書に書かれていることも、彼らの知っている物語につながる部分があり、それがおもしろいのかもしれない。

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 言葉には魂があるということを、私は子どもの頃、母に教えられて育った。心にもないことを口にすれば後悔することや、言葉で勇気を奮い起こすことができることなど、言葉について学んだことはどれも大切にしてきた。自分で本を読むようになってからは、言葉を信じ、言葉が自分の心とまっすぐにつながるよう思考すれば、言葉は精神の拠り所になることを知った。言葉によって精神がしっかりと支えられていれば、人は自分のすべきことや、大切なものを見失わずに生きられるのではないかと私は思う。
 子どもが、少しずつ親から離れて生活の場を広げていくとき、子どもに寄り添えるものは子どもにかける言葉だと思う。今、子どもたちにとって、母親である私の言葉はおまじないであり、お守りである。毎朝の「行ってらっしゃい、気をつけてね」も、学校で発表会がある日の「お母さんが応援しているから、大丈夫」も、真剣な目をして受け止めている。母乳とともに、私たちの愛情を込めた言葉を体いっぱいに吸収して大きくなった子どもたちの心の底には、言葉への信頼がしっかりと根付いていると感じられる。言葉には魂があることが、子どもたちにちゃんと伝わっているのだと嬉しく思う。それは、言葉を信じて生きてきた私が、子どもたちに一番伝えたいことである。

 いつか、子どもたちは思春期を迎え、家族の会話にも変化が訪れるかもしれない。大人になるまでに、彼らはどんな時期を通過していくのだろう。子どもがどんな姿を見せても、親の私たちにどんな試練が待っていても、子どもたちの幼い頃の言葉体験が失われることはなく、私たちの支えになるのではないかと思っている。

                         (なかむら・ふみ)

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