『絵本とジャーナリズム』
NPO法人「絵本で子育て」センター
大久保 広子(絵本講師)
昨年のあの暑い夏の7月27日、むのたけじ氏の講演は何度も何度も頭の中に甦ってくるのだが、その感銘と衝撃を言葉にするとなるとなんと難しいことだろうか。
他人の支えがなければ壇上にも上がれないのではないかと思われた98歳の むの氏が、講演が始まったとたんにシャキリとされただけではなく、その口からは次から次へと鋭い言葉の矢が射られる。そして、なんと途中で起立され、時にはテーブルに拳をたたき、足を踏み出しながら、幼子と子育てを、絵本とジャーナリズムをこれまでの人生を……語る、語る、語る。
まさにその渾身の言葉がこの本に収録されているのだから、私自身の感想などという甘いレベルではいけない、とやっと気づいたところで、命の言葉を前に「ここから何を学ぶべきなのか」ということを書かせていただこうと思う。
むの氏の講演会終了後、「なぜ、『絵本講師・養成講座』にむのたけじ氏が?」という声が事務局に数件寄せられたそうだ。私は呆気にとられた。この素晴らしい講演を「絵本講師の学びにどのような意味が」と受け止めた方がいたのだろうかと。そういう方こそ、もう一度じっくりとこの本を読みこんでほしい。なぜならば、絵本講師として胸に刻まねばならない姿勢のありようのすべてが詰まっているからだ。
幼きむの氏がどこで本に出会ったのか、そしてなんという言葉に出会い魂が震えたのか。幼いころの体験がどのように強くむの氏を導き支えたのか。幼き子どもに育まねばならない大切な能力とは何か? 大人の目線のありようは? 言葉をたいせつに伝えるべき大人が磨かなくてはいけない能力とは何か? このように挙げただけで、もう「学びの意味は?」などと言えないのではないだろうか?
《新聞記事は社会に起こった出来事が何故発生したのか。原因を深く正確に突き止めて、それがどういうプロセスを経て、こういう風に進んで、こういう結果になったのか。その結果が新しい原因となって次に何を生んでゆくのか。こういう世の中の出来事の道筋を、できるだけ深く正確に確かめて読者に提供する。》(『絵本とジャーナリズム』より)とある。
過去の素晴らしい絵本作家たちの作品を通じて「子育ての場に絵本を! ぬくもりを! まなざしを!」と活動する絵本講師が自分の思いを言葉にこめてゆくには、上述のような問題意識や思考を心根に、現代の子どもたちが置かれている状況や社会に敏感になり、自分らしくどのような活動をし、何を生み出したいのかを考えることは、とても重要なことではないだろうか、と私は思うのだ。
むの氏を思い出すときに、必ず思い出す詩がある。アメリカの詩人・サムエル・ウルマンの『青春』だ。
真の青春とは若き肉体のなかにあるのではなく 若き精神の
なかにこそある
薔薇色の頬 真赤な唇
しなやかな身体
そういうものは
たいした問題ではない
問題にすべきは
つよい意思
ゆたかな想像力
もえあがる情熱
そういうものが
あるか ないか (一部抜粋)
年齢や時間の速い遅いなんて関係ない。ハッと気づいた時が佳きスタート!! だからこそ、むの氏のこの言葉が刺さる。《よく生きたければ、よく読め!!》 (おおくぼ・ひろこ)
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