たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第97号・2014.11.10
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おばけなんてうそさ。だけど、ちょっと こわいな…。

『おばけなんてないさ』 (ポプラ社)

おばけなんてないさ ふたりのお化けが二〇一四年のスポーツ界を賑わせている。かたや、角界の大入道・逸ノ城で、入門から一年も経たずに幕内入り。あろうことか、入幕場所であれよあれよと勝ち進み、一横綱・三大関までなぎ倒す。こなた、投打二刀流の怪物・大谷祥平、プロ野球二年目だが一六〇キロを超える剛速球で名うての打者たちを相手にバッタバッタと三振の山を築く。これだけではない。主軸に座る打席でも見事な打撃でアーチを描くのだ。
 一方、政権奪取後またたく間に大化け・変化(へんげ)して、時代錯誤の強権国家をめざすかのような妖怪たちが表面化する。 喝采したいお化けも、厄介ものも、この世にお化けはたくさんいるようだ。
 お化けが我が身に登場したのは、いくらかの物心が着いたころだから六十六、七年も昔むかしのこと。祖母や母から、お化けはこの世のものでなく、怖い存在であることを何かにつけ語り聞かされた。で、愚図ったり、手こずらせたりすると、「言うこと聞かんとお化けが出るぞ」と脅かされる。お化けが余程怖かったのだろう、不思議にシャンとした記憶がある。一方で、「お化けなんかいないんだ」と父には教えられる。いるのかいないのか。何故だか、しっかと訊ねることはしなかった。だから、お化けへの思いは胸の裡にウヤムヤにしまいこむことになる。ぼくにとって、お化け・幽霊・妖怪の類は、怖いようで怖くない、見たくないようで見てみたい、そんな少々塩辛くて甘酸っぱい想いのなかにある。
 絵本『おばけなんてないさ』は、ぼくのそんな想いを代弁してくれる圧巻のお化け絵本である。坊やとお化けだけが登場する。
 お化けなんてないさ、お化けなんて嘘さ、とうそぶく坊や。本当にお化けが出てきたら、とうろたえるのも坊や。子どものお化けとなら友だちになろうと思ったり。お化けの友だちを連れて歩いたら、みんながびっくりするだろうと想像したり。だけど、坊やは、ちょっと怖い、というおはなし。
 お化けやら幽霊やら鬼やらを持ち出して脅かすような子どもの躾けはけしからんと取り沙汰する評論家がいるらしい。子どもたちから怖いもの、危ないものを極度に避けさせようとする風潮には首を傾げている。
 実はこの絵本。現代音楽の名匠・峯陽の作曲に作詞・槇みのりで誕生する。そして、弘田三枝子が歌い、NHK「みんなのうた」で定番童謡に。絵本作家・せなけいこが槇の作詞をそのままテキストにして達意の童画ストーリーを構成して絵本となる。この絵本の軽快なリズムと愉快な調子は、この音楽性に由来するのだろう。
 お化けや幽霊の存在を詮索するのは止めよう。 …おばけのくにでは、おばけだらけだってさ。おばけなんてうそさ。だけど、だけど、ちょっと、ぼくだって、こわいな…。
 『おばけなんてないさ』を、唄いながら読み語ったらどうなるか。お化けへの複雑な思いを想い起こさせ、気持ちをずんと弾ませるような…。そんな快活なひびきの珠玉の絵本になるはずだ。 (『おばけなんてないさ』せなけいこ 絵 槇みのり 作詞 峯 陽 作曲 ポプラ社) (おび・ただす)

『おばけなんてないさ』
(ポプラ社)

 

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