えほん育児日記

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~絵本フォーラム第98号(2015年01.10)より~  第4回

母や父の言葉が心に残すもの

わが家  私が小学生の頃、両親からのクリスマスプレゼントは自分で選んだ本でした。たくさんの本がぎっしり並んだ冊子から選ぶのです。普段は図書館を利用していたので、気に入った本やそのシリーズで図書館にはなかった本などを、ずいぶん迷いながら2、3冊リクエストしていました。そんな本を、中学生になってからでもしばらくは毎晩少しずつ、父は私と妹の布団を並べた部屋に上がってきて枕元で読んでくれました。『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子/著、講談社)や『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』(リチャード・アダムス/著、神宮輝夫/訳、評論社)などは、おもしろかったりドキドキしたり、今もよく覚えています。そして、例えば『うさぎたち』の中に出てくる「王様のレタス」のフレーズは、家庭菜園の得意な父ご自慢の無農薬野菜と共に、食卓で会話によく登場していました。父がどんな思いで読んでくれていたかは聞いていませんが、それらの本の多くは母も読んでいたようでした。そんな会話の中に、お話の中のことばを家族が共有しているわくわく感がありました。  

 今、我が家では、長男長女は共に絵本から児童書への「虹の橋」を簡単にのぼって向こう側へすとんと降りてしまいました。それでも娘は、絵の美しいファンタジーの世界が大好きで、絵本もよく開いています。絵本の読み聞かせはもっぱら末っ子向けになった感じですが、代わりに児童書を声に出して読む楽しみが加わりました。子ども達と一緒に、リンドグレーンの作品や『大どろぼうホッツェンプロッツ』(プロイスラー/作、中村浩三/訳、偕成社)など、私も一緒に大いに笑って楽しんでいます。娘が私の帽子をちょっとかぶってみて、「ねぇ、この感じ、パディントンぽくない?」と言った時、その感じをみんながイメージできてあれこれ言う、それがとても楽しいのです。

  幼い頃、ひざに抱っこして絵本をめくりながら一緒に旅をしたお話の世界。今は、遊びはそれぞれの学校の友だちとが一番楽しい年齢になってきた子ども達だけれど、それぞれの時間に自分で読んでいても、やっぱり同じ世界を旅してきています。例えばみんなが「ナルニア国」(『ナルニア国物語』C・S・ルイス/作、瀬田貞二/訳、岩波書店)に行ったことがあって話が弾む、絵本や本が我が家の誰でも手に取れるところにあるおかげでつながっている、そんな共有感を嬉しく思います。

  この一月は阪神淡路大震災から二十年です。昨年の神戸ルミナリエのテーマは、第1回と同じ『神戸 夢と光』でした。もう二十年にもなるのか、と思いが巡ります。人の命の、あっという間の運命。さまざまの偶然の中で自分の命は生かされているのだ、そんなことを自分の中に噛み締めるように抱くようになった、大きな出来事でした。私が社会人となってまもなくのことでした。自分に何ができるのだろうか、長く思い悩んだ末に、できないことは山のようにある。でも自分だからできることもきっとある。そう思って前を向けるようになったのには、その時の人との出会い、再会した絵本の世界や子どもの頃から好きだった音楽を通じて時間などがあったからだと思います。

  嬉しいこと、ちいさな希望、大きな夢、何かしら前向きに生きていこうと気持ちを励ましてくれるもの。そういったものは見つけるのでしょうか? 胸の中に湧いてくるのでしょうか? それとも何かのきっかけで感じるのでしょうか? 私は、人生のそういった岐路にあって、これまでに出会ってきた自分にとって大切な人、好きなことやものの存在がとても大きいと思います。ドイツの教育・哲学者シュタイナーは「人生の最初の7年間で大切なことは、世界は善であることを感じていくことだ」と言ったそうです。私は、幼い子ども達と関わる時いつも、好きな人、好きなことをたくさんみつけてほしい、と願っています。

  絵本やお話を通しての素敵な大切な出会い。子どもの本の役割、ただ子どもの喜ぶ顔が嬉しくて繰り返し語り聞かせたことばの力、母や父の声が心に残すものも、いつか私たちの手元を離れた時に子どもを支えてくれるでしょう。
(くまだき・かよ)

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