テレビの最も大きな罪 (私たちとテレビ 3) 多くの親は、「子どもにテレビを見せすぎるのはどうかしら……」と思っています。しかし、「○時間以上は見てはいけません」「テレビタイムは、○時から○時までのあいだよ」と、しっかり制限できずにいるのです。親がほぼ無制限にテレビを見てしまっている以上、子どもに「テレビを見ちゃいけません」とは、なかなか言えないでしょう。 しかも、いまは、テレビに子守りをさせる親まで登場し、増えつつあるのです。箱のなかに子どもを入れて、テレビの前にポンと置いておいたら、子どもは一生懸命テレビをみていて静かにしている。そのあいだに家事ができて非常に便利がいい、というわけです。 また、九州大谷短期大学の山田真理子先生が、一ヶ月に一日ぐらい、親も子もテレビを見ない日〈ノーテレビデー〉、をつくりましょうという試みを提案され、希望者を募りました。すると、そのときに参加を拒否した家庭がたくさんあったそうです。 「テレビを一日中消すなんて、どうしたらいいの?」。これは子どもが言ったのではありません。親がそう言ったのです。一ヶ月のうちのたった一日、テレビをつけない日をつくることができない……。そんな家庭が、悲しいかな存在したのです。 テレビは、子どもたちの身体や心に悪影響をもたらします。しかし、テレビにはそれ以上の大きな罪があるのではないでしょうか。現代社会におけるテレビの最も大きな罪……。それは、家庭から親と子のコミュニケーション、心のふれあいを奪ってしまったということなのです。 いま、家庭から会話がなくなってしまったと言われています。食事どき、全員がテレビにばかり顔を向け、一言も話をせずにごはんを食べている家庭……。学校から帰ると、「ただいま」の一言だけで自分の部屋に引っ込み、ずっとテレビゲームをしている子ども……。 昔は、「これ、おいしいね」「今日はどんなことがあったの?」という自然な会話がありました。そのように、家庭が自然に会話し、心をふれあわせることを〈団らん〉と言います。テレビを見ながら、黙ってごはんをかき込んでいるのを、〈団らん〉とは言わないのです。 いま、テレビがついている時間と、親と子が会話をしている時間、どちらのほうが長いでしょうか。ことばが不在になってしまった家庭……。それはもはや〈家庭〉ではありません。いろいろな世代の人が、たまたまひとつの場所で共同生活をしているというだけのことです。そういう〈家庭〉がいま、増えているのではないでしょうか。 私たちはテレビというすばらしいものを手に入れました。しかし、その代償として、もっと大きな、かけがえのないものを失ってしまっているような気がするのです。 |