たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第36号・2004.09.10
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「生命の誕生」を直視することから「いのちの尊厳」を知る

『いのちは見えるよ』

写真  「いのち」の尊さを語ることはむずかしい。
 「いのち」や「生きる」ことの荘厳さをいくら口の端に乗せても、言葉だけが宙を浮遊しているだけのように想うことが数限りなくある。
 昨今あいつぐ残虐非道な事件。児童の関わる凶悪事件も珍しくない。ジャーナリストや教育者・学識者の多くは、事件が惹き起こされるたびに「いのちの尊厳」をあれやこれやと分かった風に語りたてる。何処まで内実豊かで、どれほど誠実に「いのち」を語っているのか怪しげで、その浮ついた美辞麗句や説諭言辞にいささかうんざりする。読者受けや視聴率稼ぎのために「いのち」が語られるとするなら、余りに精神は貧しく、「いのち」を商品化する魂胆を透けて見せているようなものだ。
 実際、人殺しを日常とする戦争を起こす人々が絶えない。殺人虐待の物語やゲームを次から次へと誕生させる人々もいる。永い間、ぼくらは、これらの状況に浸されているうちに「いのち」をきちんと考えることに鈍感になってきたように思う。戦争の実際を追体験するには、ヒロシマや南京など歴史的現場を実際に訪ね、残酷で悲惨な写真資料などを直視することが必要ではないかと歴史教育者たちは考える。「いのち」の尊さを知るためにも同じことが言えるのではないか。
 生命科学者の柳澤桂子は「いのちの美しさ、それについて知ることのすばらしさについて、科学者だけが独占すべきではない」と、「いのちとは何か」「自分とは何か」「生きるとは何か」を子どもたちに考えさせる『いのち』(柳沢桂子・文/桑原伸之・え/ほるぷ出版)を科学者からの手紙という形で著している。柳澤は遺伝子の話から語り始める。そして、父親の数千万匹といわれる精子を母親の子宮が取り込み、その中からたったひとつの精子を選び出し卵子と出遭わせてひとりの人間が誕生することなど、“生命の誕生”の不思議とすばらしさ・尊さを実にリアルに語る。遺伝子が「あなたがあなたであること、ぼくがぼくであること」を決め、男と女の性や、親と子の関わりについても科学研究の成果を専門用語を廃してやさしい口語訳で語るのだ。
 なるほど、と思う。児童期にきちんとした「いのち」についての科学認識を与えることが可能であれば、「いのちの尊さ」や「生きるすばらしさ」を血肉として感得することができるのではないか。
 しかし、「生命の誕生」や「性」について子どもに語ることを大人はいったいに嫌う。「そのうち、自然に分かるさ…」と腰を引いてしまうのだ。しかし、現前の情報社会はあたり構わず扇情的な非科学情報を撒き散らし、親たちの知らぬ間に子どもたちの脳には猥雑な情報が大量に入力される。

 児童文学で「いのちの誕生」の実際を直視させ、感動を呼び込むほどに物語る傑作に『いのちは見えるよ』(及川和男・作/長野ヒデ子・絵/岩崎書店)がある。
 主人公はエリちゃん。お隣りにマッサージ師のアキラさんと盲学校教師のルミさんのともに目の不自由な夫婦が住む。夏休みのある朝、「エリちゃーん、たすけてぇー」のルミさんの叫び声で物語は大きく動き出す。お産まじかの妊婦であるルミさんが転んで「おなかが痛い」と助けを求めたのだ。大人たちは誰もいない。エリちゃんは119番に電話して救急車を呼び病院へ同行。なんと出産の現場にまで立ち会ってしまう。妊婦の陣痛の苦しみに目を丸くし、彼女を励ます婦長さんや医師たちの姿に心をゆさぶられる。エリちゃんもルミさんの手を握り腰をさすったりと懸命に出産を補助するのである。顔をしかめていきむルミさん。フッフッフーと息つき苦しむようすに「いのち」を生み出す凄みが描かれる。そして、「オギャー、オギャーッ」と大きな産声をあげてしわくちゃ顔の赤ちゃんが産まれる。わが子を抱きしめて嬉し泣きするルミさん。あれほど苦しんでいたルミさんが、赤ちゃんの顔を撫で手を握りしめて喜びにうちふるえる姿にエリちゃんもググッときて駆けつけたママにしがみつき感極まって大声で泣いてしまう。退院したルミさんは子育てに懸命。エリちゃんは素朴に「ルミさん、赤ちゃん、見えたらいいね」といってしまう。しかし、ルミさんは微笑んで「見えるよ。いのちは見えるよ」と語るのである。お乳を飲み、うんちし、泣いたり、感じたり、…それがいのち。心臓が動いて生きている。そんな「いのち」は目が不自由でも見えるのだ…。
 この物語は欲張りなほどにいくつかのモチーフを持つ。障害者夫婦を登場させて二人の職業も紹介。障害や職業で健常者と区別される視線を存在させない、隣人助け合う暮らしの心の豊かさをさりげなく描出する。長野ヒデ子の柔らかくて太く強い描線がそれらのモチーフに充分に応えている。そして当然のことだが、「いのち」は、ふわふわとしたものではなく、深い愛情に包まれて苦しみや痛みをも伴いながら誕生することが語られる。多くの人々の助けを必要とするのも「いのち」であり、だからこそ、「いのち」は尊く、だからこそ「生を大事にする=生きる」力を育てることが、ぼくらにも子どもにも求められるのだと思う。ゆったりと家庭で読み語るに十全な作品である。
 「いのち」の実際や、「生きる力」を知るかぎり「いのちは見える」のである。
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