リレー

絵本がくれた魔法のひと時
(山形・山形大学教育学部教授・上山 真知子)


 その頃5年生だった次男には、ちょっとした悩みがありました。担任の女の先生は、どうしたわけか小言が多く、カラスの鳴かない日はあってもというくらい、説教が続く毎日だったようです。授業参観に行ってみて、はじめてわかりました。ちょっと憂鬱な気分で帰宅すると、息子は好物の「柿の種」を食べようとしていました。息子なりにつらい思いをしていたんだろうなとわかりましたが、今さらその話をするのもいやで、彼と二人でおやつにすることにしました。
 丸く白いお皿に、「柿の種」が5つほど残り、息子はそれを使って眉毛や目、そして口、鼻と並べ替え、顔のようなものを作り始めました。「これは、ニコニコ笑っている顔」と。なるほど楽しい顔です。私も一緒になり、いろんな顔を作りました。
 いつの間にか息子は、ハミングしていました。「フンフフン、って感じ」と、とても楽しそう。そして、「かあちゃん、これって、『だるまちゃんとうさぎちゃん』(加古里子著/福音館書店)みたいだね」と言ったのです。おやつにまつわる遊びがいっぱいの絵本は、幼児期の息子のお気に入りでした。夕暮れ前、ゆったりした時間が流れていきました。
 この日、最後に息子が作ったのは「怒っているときの先生の顔」でした。私が「そうか、先生のこと、いやだったんだね」と言うと、彼は、次から次へと、いやだったことを語り始めたのです。そしてすっきりした顔になりました。息子に限らず、ほとんどの子どもたちは、先生の言うことを正しいと思っています。でも、時には理不尽さを感じることもあります。しかし、いやとはっきり言えるほど、ことは簡単ではありません。
 私は、大学の臨床心理学を教える傍ら、臨床心理士としての仕事も続けている毎日です。自分の気持ちをだましながら暮らしてきた結果、心理的に追い詰められてしまった大人や子どもたちにお会いします。やがて心の声を自覚するようになるとずいぶんと気分がよくなるのですが、そこまでの道のりが大変です。心理士を心から信頼し、リラックスし、語り始める、それだけのことに、何年もかかることがあります。
 一般に、心理療法では、自分の近親者の治療は行いません。私も、次男に心理療法をしたわけではないのです。でも、私たちには、絵本という強い味方がいました。一緒に絵本を読んだときの楽しい時間の記憶が、彼のストレスを解放し、とりあえず話を聞いてもらえばいいや、という気持ちを運んできてくれたのです。私は以前、『絵本が開く魔法の世界』(出版:サンパティック・カフェ、発売:星雲社)という本を書きました。これは、心理臨床の場面で出会った、絵本が運ぶ親子の幸せな遊びの時間をまとめたものです。この日、絵本はまだ、魔法のひと時を運んでくれる味方だったことを知ったのでした。
絵本フォーラム28号(2003年5.10)より

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