一日半歩

大人は「教育の目的」を伝えているか?

 子ども達は、『教育の目的』を知った上で、日々の学校生活を過ごしているのだろうか。そして我々大人は、『教育の目的』を知った上で、子ども達を教え育てているのだろうか。
 『教育の目的』は、言うまでもなく教育基本法・第一条に書いてある。中学時代の恩師の一人は、この教育基本法・第一条を読み上げた後、よく次のような話をしてくれた。

「難しい言葉が並んでいるけどね、要するに、家庭を築き、地域を担い、人として生きていく上で何が大切かを学び、それらを身につけることが『教育の目的』だと書いてあるんだよ。そのためには、もちろん勉強も必要です。でもね、それ以上に、嬉しかったこと、悲しかったこと、褒められたこと、叱られたこと、恥ずかしかったこと、怒ったこと、悔しかったこと、頑張ったこと、感謝したこと、そして感謝されたこと―。そういうことを通じて、生きていく上で何が大切かをしっかり考え、きちんと身につけていくことが教育なんだよ。そのために学校があり、家庭や社会があるんだよ」―。

 絵本『びゅんびゅんごまがまわったら(宮川ひろ/作、林明子/絵、童心社)』を読んでみよう。絵本には、まさにそういう子ども達の姿が生き生きと書いてある。
 例えば、失敗しても悔しさから立ち上がり、一人で頑張り、やりぬきとおす意志と勇気の大切さが書いてある。希望を語り、気持が通じ、許し、励まし、競い合い、感謝する―。そういう仲が良い友達同士であることの心地よさが書いてある。努力すれば評価されるという経験。鍛えれば自分が伸びていくという実感。そして、いつかは必ず報われるという実体験。子ども達には、それらが必要だと書いてある。
 そうした価値ある様々な出来事と思いを積み重ねながら、子ども達は自らの人生を歩み始めてゆくのだろう。
 だとすれば、そんな子ども達を励まし、諭し、導き、時にはじっと見守ってあげることこそ、我々大人の役割だと思う。まさにそれは、絵本に出てくる校長先生の姿そのものだ。

 学力は、幸せの十分条件の一つではあっても、決して必要条件ではない。幸せの必要条件は、誠実・信頼・責任・正義・やさしさ・勇気などであることを我々大人は知っているはずだ。十分条件なら、自己表現力や共感能力、指導力、忍耐力、志などの方が、学力よりも重要であることも知っているはずだ。こうした必要条件や十分条件の涵養こそが、真の教育だと私は思う。すなわち、「家庭を築き、地域を担い、人として生きていく上で何が大切かを学び、それらを身につけること」に他ならない。

 附:教育基本法・第一条(教育の目的)  教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

「絵本フォーラム」40号・2005.05.10

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