一日半歩

“大人は「正義」を伝えているか?”

 「恥と良心は、もはや死語だ」と、十六歳の次男が呟いた。それは、次男とほぼ同世代の少年が引き起こした凶悪事件を、テレビが報道していた時のことだった。

 テレビ画面では、その少年の通う高校が映し出されたかと思うと、取材記者が出てきて、下校する生徒らにマイクを突きつけ、事件の感想を求めて食い下がる。また、少年の自宅が映し出されたかと思うと、近隣の住人が次々と登場し、少年の日頃の振舞や家庭状況を無責任に喋る。そして、少年の小中学校時代の行状を、かつての恩師が平気で語る。さらには、事件の概要しか分からない段階で、有識者が得意気に昨今の家庭教育や学校教育を批判する。そういう姿をじっと見つめていた次男は、ついに恥と良心を“死語”と断じたのである。

 恥をわきまえ、良心に従う行動を『正義』と言う。すなわち、誰からも非難されない『正義』であるためには、その手法や行為が恥ずかしいものであってはならない。まして、卑劣なものであってはならない。また、誰からも強く支持・共感される『正義』であるためには、その根底に良心がなくてはならない。つまり、誠実・責任・信頼・やさしさ・勇気を伴う心が欠かせない。これらの条件が全てそろった時、初めて『正義』は大きな力を発揮するように思う。

 では、二十世紀で最も大きな力を発揮した『正義』と言えば何だろう。人により意見は異なるだろうが、私ならキング牧師の生涯を挙げるだろう。それは、絵本『キング牧師の力づよいことば(マーティン・ルーサー・キングの生涯、ドリーン・ラパポート/文、ブライアン・コリアー/絵、もりうちすみこ/訳、国土社)』に書いてある。

 キング牧師は、「白人をにくむ」という主張に、「愛しましょう」と言った。「黒人と白人は、いっしょにやっていけない」という主張に、「いっしょに」と言い続けた。「暴力をつかってでも、たたかう」という主張に、「平和的な方法で」と訴えた。なぜなら彼は、憎悪や排除や暴力は、結局は非難され、力を発揮できないことを知っていた。だからこそ彼は、「あるき、かたり、うたい、いのった」。そして、誠実・責任・信頼・やさしさ・勇気に満ちた彼の『正義』の言葉は、やがて黒人達の心を希望でみたし、ついにアメリカ国家に「はだの色による差別をなくす」と宣言させるに至ったのである。

 「暴力に暴力でこたえてはいけない」と「どんな人でもりっぱなおこないをすることができます」は、この絵本の中でも珠玉の言葉だと私は思う。キング牧師は、この二つの言葉を使い続けてアメリカを動かし、世界を勇気づけ、ノーベル平和賞を授与された。

 私は、キング牧師のような立派な人物には遠く及ばない。それでも、息子達に心をこめて使い続けてきた言葉は幾つかある。例えば、人として最も恥ずべき行為として伝えてきた言葉は、「絶対に許さないこと、それは弱い立場の者をいじめること」。また、良心を育むために伝えてきた言葉は、「何よりも嬉しいこと、それは心のやさしい子どもに育ってくれたこと」。

 テレビを見ていて恥と良心を“死語”と断じた次男のことを、私はとても嬉しく頼もしく思った。しかし、次男は気づいていたのだろうか。彼の心に、恥をわきまえ、良心に従う『正義』の心が育っていることを―。そういう意味では、恥と良心はまだ“死語”にはなっていないことを―。そして、「おまえは、私の自慢の息子だ」と私が呟いたことを―。

「絵本フォーラム」43号・2005.11.10

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