一日半歩

“大人は「感謝」を伝えているか?”

 日本経済新聞社による最近の調査によれば、夫や妻から言われて嬉しかった言葉は「ありがとう、おつかれさま、君(あなた)と結婚できて良かった」の3つだったという。日々の努力や苦労を感謝された時、夫も妻もそれを嬉しく思い、互いの愛情、明日への意欲・勇気などが次々と湧き出てくるからだろう。それこそ、夫婦円満というものだ。

 では、子ども達はどうだろう。上手に読めた時、上手く描けた時、成績が上がった時、完走できた時、競技で勝った時など、“ほめられた”という経験は豊富かも知れない。しかし、肝心の“感謝された”という経験を、彼らは果たしてどのくらい持っているのだろう。
 子ども達は、家庭や学校で用事を言いつけられると、「面倒くさい、むかつく、どうして私がしなけりゃならない、何で私が犠牲になるの」―というような顔をする。しかも自我が芽生え、自己主張もしてくる思春期ともなると、その傾向は一層強くなる。しかし、用事をきちんと済ませることが、一体どれほどの損や犠牲になると言うのだろう。ほんの少し身体を動かし、ちょっと時間を使うだけではないか。しかも、それで相手や周囲の役に立つというのなら、それを損や犠牲と思う感覚の方が間違っているはずだ。
 でも、それは子ども達のせいではない。なぜなら、「人のために損をするのはいやだ、いつでも自分は得したい」という自分本位な大人達の姿ばかり見て、彼らは育っているのだから。
 だからこそ子ども達に、心のこもった感謝の言葉をきちんと言ってあげよう。そして、感謝は幸福の源であることを何度も何度も実感させてあげよう。

 絵本『花さき山(斉藤隆介/作、滝平二郎/絵、岩崎書店)』には、自分のことより人のことを思って辛抱した時、その「やさしさ」と「けなげさ」が花になって咲き出すことが書いてある。「やさしいことをすれば花がさく。いのちをかけてすれば山がうまれる」と書いてある。そう―、「花さき山」は、まさに感謝の山なのである。
 しかし、感謝に満ちた「花さき山」は遠くにあってはいけない。むしろ、私たちの身近にこそ、なくてはならないのだ。

 それは、何も難しいことではない。家庭の中なら、お醤油をとってもらったら「ありがとう」―。牛乳を持ってきてもらったら「ありがとう」―。洗濯物をたたんでもらったら「ありがとう」―。買い物をしてきてくれたら「ありがとう」―。すなわち、子ども達へ心をこめて「ありがとう」を言ってあげること。すると、「何で私がやらなきゃならないんだ」と不機嫌だったギスギスした気持ちなど、子どもの顔からすぐに消えていくはずだ。
 さらに、コンビニやスーパーなら、店員さんが買い物を袋へ詰めてくれたら「ありがとう」―。食堂なら、店員さんが注文の品を運んできてくれたら「ありがとう」―。すると、その場に温かな雰囲気が生まれてくることを、誰もが実感するはずだ。私は、そうやって子ども達に伝えてきた。すなわち、「ありがとう」は魔法の言葉であることを。

「絵本フォーラム」45号・2006.03.10

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