こども歳時記
〜絵本フォーラム第43号(2005年11.10)より〜
老いてゆき、そして返ってゆく
  10月の運動会や12月のクリスマス会で、ご近所の老人会との交流会を企画する幼稚園などが増えているようです。核家族に生まれ、お年寄りと親しく接する機会もなく成人する人も多くなりました。遠く離れ離れに暮らしていた親子が親の高齢化により同居を始め、いろいろな摩擦を繰り返して、結局別居してしまうというケースもまたたくさんあります。

 おじいちゃん、おばあちゃんにも赤ちゃんの時代があったということ、年をとっていくということはだんだん子どもに返っていくのだということ、人は生まれてから確実に死に向かって生きていくものだということを子どもたちに伝え、また、現在年老いた親と一緒に暮らしながら、けんかの絶えない子どもにちょっぴり客観的に自分たちを見直す機会を与えてくれる絵本があります。『おばあちゃん』(大森真貴乃/作、ほるぷ出版)です。

 高齢の親を亡くした後、この絵本を手に取り、もっと早くにこの絵本と出会いたかったと涙ながらにつぶやいた方がいます。きっと気持ちは親御さんに届いたことでしょう。

『おばあちゃん』
(ほるぷ出版)
「学力」論争の後にくるものは…

『機会不平等』
(文藝春秋)
 さて、先日、元祖100ます計算で有名な岸本裕史氏をお招きした勉強会がありました。今の「ゆとり教育」とは、できる子とできない子を早い時期に分けてしまうためのものだそうです。

 そういえば、「ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねぇ、いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」と教育改革国民会議座長の江崎玲於奈氏が、「非才、無才には、せめて実直な精神だけ養ってもらえばよい」と教育課程審議会前会長の三浦朱門氏が言われています。
 一体この言葉をどのように解釈したらよいのでしょうか。勉強のできない子はできる子の(凡人は一部のエリートの)指示どおり実直に行動していればいいということなのでしょうか。
 詳しく知りたい方は、『機会不平等』(斎藤貴男/著、文藝春秋)をお読みください。
 岸本裕史氏は「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」の代表委員として、真に賢い子どもに育てるためにはと全国的に活躍されています。
その方法は、「(1)3人以上で群れ遊びをさせる。異年齢がなおよろしい」「(2)外遊びをさせる。よその家にも泊まる」などなど。
 もちろん、読書は賢い子どもに育てるためには欠かせない、大きな一つの方法だそうです。それは、知育だけではなく、広い意味での学力・教養・知性のことであるのは言うまでもありません。「学力」論争の後にくるものを、私たち親は凝視したいものです。(森)

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