小沢俊夫の昔あったづもな  

第六信

自由以前の問題


ムハンマド風刺漫画事件とそれに対するテロ事件

 ― 言論の自由以前の問題がある


 フランスの風刺漫画誌がイスラム教の預言者ムハンマドを風刺する漫画を掲載し、それに激怒したイスラムの〝過激派〟が雑誌社を攻撃して17名を射殺し、警察は犯人を追いつめて2人を射殺した。この事件に対してフランス全国で370万人のデモ行進があり、西欧諸国の首脳も参加した、という大ニュースであった。

 フランスをはじめ西側諸国では、「言論の自由を守れ!」との主張が叫ばれている。イスラム教の諸国では対応は分かれているようだ。「預言者への侮辱は許せない」と「侮辱はけしからんが、言論の自由は大事だ」ということらしい。

 一連の事件報道を見ていてぼくが感じるのは、フランス人の自己優越意識、そして中近東のイスラム教徒ムスリムへの蔑視である。そして、ドイツ、イギリス、アメリカなどが同調して、首脳たちがデモの先頭を歩いているのを見ると、キリスト教白人社会全体が、中近東のムスリムに対して蔑視を持っていることを感じるのである。

 その蔑視は、預言者ムハンマドをからかうという行為そのものに表れているし、ムスリムがそれに怒ったことに対して、「言論の自由だ」と言って逆上していることにも表れている。

 もし中近東のムスリムたちが、イエスキリストをからかった諷刺画を風刺漫画誌に掲載したら、キリスト教白人たちはなんと言うだろうか。「言論の自由だ」と言って放置しておくとは思えない。猛烈に攻撃することは確かである。

 そもそも他人の宗教的信仰に対して口を出すこと自体が、近代の社会では差し控えられてきた。キリスト教白人の近代、現代の社会内部では誰でもその節度を守っている。だが、イスラム教に対しては平気で雑誌に諷刺漫画を掲載し、しかもそれに対してムスリムが怒ると、「言論の自由」だと叫ぶ。あまりに傲慢ではないか。ぼくはそこに、「世界をリードしているのはキリスト教を奉じる白人である」という傲慢さを感じる。もちろん、そういう白人たちを批判する理性的な白人がいることは重々承知しているが。

 新聞・テレビの報道では、イスラム社会のあちこちで、あの風刺漫画に対する怒りが湧いてきているとのことである。西アフリカのニジェール、北アフリカのアルジェリア、中東のヨルダン、レバノンなどで大規模なデモやキリスト教会の焼き討ちが起きている。


怒りが爆発する背景があった


 第二次世界大戦終焉後、これまでアメリカによって仕掛けられた戦争で、アフガニスタン、イラン、イラク、パキスタン、シリアなどの民衆が塗炭の苦しみを強いられてきた。そのほとんどはムスリムなのである。特に最近では、パキスタンのムスリムたちが、アメリカの無人爆撃機で多数殺されている。無人爆撃機が突然病院に爆弾を投下する。子どもたちが学ぶ学校に投下する。これは人間が姿を見せないテロではないか。民衆が怒るのは当然である。そこへ預言者ムハンマドをからかう風刺漫画が現れた。イスラム教信仰の中心を風刺漫画でからかった。怒りが爆発するのは無理ないではないか。

 日本に置き換えて考えればすぐ理解できるだろう。日本人は宗教に寛容と言うか、いい加減と言うか、結婚式は神社またはキリスト教会で行い、正月には神社かお寺に初詣し、お盆とお彼岸はお寺で行い、クリスマスにはサンタクロースの歌を歌い、大売出しに出かけ、死ねばお寺に葬られる人が多い。そういう日本人でも、もし異教徒が天照皇大神を漫画にして風刺したら、伊勢神宮を崇敬する人は激怒することは確かだろう。あるいは親鸞上人、日蓮上人などを漫画にして風刺したら、信仰心厚い仏教徒は激怒するだろう。いわんや戒律の厳しいイスラム教の信徒が激怒することは想像に難くない。そういう想像力を、日本人は今働かさなければいけないのである。そういうことを想像してみれば、今度の事件を「言論の自由である」と言って済まされないことが理解できるはずである。

 ぼくは新聞・テレビなどごく普通のマスメディアしか見ていないが、その限りでは、どうも自分をキリスト教白人の位置に置いて考えている記事が多いと思う。「言論の自由を守れ」という主張が、まったく批判なしに報じられていることが多い。「あなたはなに人なの?あなたの宗教は何?」ときいてみたくなるような記者・執筆者が多いのである。

 そもそも「言論の自由」とは、権力に対して民衆が主張する自由である。他人の信仰に対して使うべき言葉ではない。  政治家がこの「キリスト教白人病」に感染していると極めて危険である。つまり「集団的自衛権の行使」と称して、自衛隊をアメリカ軍と一体化して行動させることになる。すると、日本にもムスリムの人たちのテロが及んで来ることになるのである。

 日本は戦後70年、平和憲法のもとで中近東のムスリムとも親しくやってきた。文化的にも経済的にも。ムスリムのなかには親日感情をもっている人が多いと聞く。それなのに今、キリスト教白人の傲慢な風刺漫画に巻き込まれて、日本製キリスト教白人になった気分でムスリムを敵に回しそうになっている。それは愚かであり、危険である。

 70年築き上げてきた平和の国日本がなすべきことは、キリスト教白人にも中近東ムスリムにも、冷静に互いの価値を認めあい、互いを尊重しあうことを教えることではないのか。アメリカ軍に自衛隊を援軍として送ることではないはずだ。今のまま進むと、いずれは怒れるムスリムのテロが日本にも及びかねないのである。

 安倍首相はその危険に気が付いていないらしい。日本は極めて危険な状況になってきつつある。日本人に冷静な状況判断を求めたいし、世論をリードするジャーナリズムの賢い洞察と勇気を求めたい。

日本を「イスラム国」に敵として差し出した安倍首相
 

 ぼくは、小澤昔ばなし研究所発行の季刊誌「子どもと昔話」62号でも、集団的自衛権の発動をして、自衛隊をアメリカ軍に送り出したら、日本が過激ムスリムのテロの標的になるから危険だということを書いた。それがこんなにも早く現実になってしまったのだ。

 近現代の歴史から何も学ぼうとしない安倍首相は政治家として失格であると言わざるを得ない。湯川さんと後藤さんが「イスラム国」に拘束されていることを政府は昨年から知っていたのに、安倍首相は1月17日にエジプトで、二億ドル支援について、「ISILの脅威を少しでも食い止めるためだ。人材開発、インフラ支援を含め、ISILと闘う各国に支援を約束する」と演説した。この演説について1月28日の参議院本会議で、「日本を元気にする会」代表の松田公太議員は英語版を読み上げて、「(日本語に)訳すとISILと闘う国の戦闘基盤を構築するための支援になってしまう。日本人が人質になっていると知っていた政府としては、配慮がなさすぎる」と指摘したという。

 まさにそのとおりである。これでは「イスラム国」が日本をアメリカに従属した敵国と認識するのは極めて自然である。安倍首相は人質の交換問題が起きてから、あの支援は避難民などの援助だと弁解したが、手遅れだった。手遅れだっただけでなく、実は演説は本音を言ってしまったのだった。首相官邸には危機管理の「専門家」が多数いるだろうに、なんとお粗末なのだろう。というか、本当はアメリカ軍への間接的、直接的援助だから、どうしても本音が漏れてしまったのだろう。  テレビの国会中継を見ていたら、この点を追及されたとき安倍首相は、「テロリストがどうとるかなど考えて行動していたら、それこそテロリストの術にはまることになるのだ」という趣旨の答弁をしていた。外交的駆け引きなど考えもしない、単純で愚かな政治家であると、ぼくは改めて思った。

 安倍首相はまた、テロ撲滅まで闘うと宣言している。そして、ほとんどのマスメディアも、「イスラム国」はじめ過激なムスリムだけがテロをしているように書き立てているが、アフガニスタン戦争以来のアメリカの暴虐な攻撃はテロではなかったのか。サダム・フセインは独裁者でけしからんというわけで、大量破壊兵器を所有しているという口実でイラク攻撃を仕掛けた。だが大量破壊兵器は見つからなかった。無実の攻撃だった。そのためにフセインばかりか無数の庶民が殺された。あれはテロと同罪ではないか。最近の無人攻撃機による爆撃もテロである。病院、学校が突然爆撃され、無数の病人、子どもが殺されている。この事実を追及しなくていいのか。大規模攻撃による殺人は正当で、個人による攻撃だけがテロなのか。そんなバカなことはない。一人だけ捕まえて殺したらテロで、多数をいっぺんに殺すのは正当な戦争なのか。そんなバカなことはない。

 これは安倍首相には通じない話かもしれない。だが、日本のマスメディアに関わっている人たちにはお願いしたい。アメリカがやってきたことはテロと同じだということを、日本人に常に思い起こさせるような記事を繰り返し、繰り返し書いてもらいたい。「イスラム国」だけがテロをやっているわけではないことを。そもそも戦争を起こすこと自体、してはいけないことなのだということを。


(おざわ・としお)



小澤俊夫プロフィール

1930年中国長春生まれ。口承文芸学者。日本女子大学教授、筑波大学副学長、白百合女子大学教授を歴任。筑波大学名誉教授。現在、小澤昔ばなし研究所所長。「昔ばなし大学」主宰。国際口承文芸学会副会長、日本口承文芸学会会長も務めた。2007年にドイツ、ヴァルター・カーン財団のヨーロッパメルヒェン賞を受賞。小澤健二(オザケン)は息子。代表的な著作として「昔話の語法」(福音館書店)、「昔話からのメッセージ ろばの子」(小澤昔ばなし研究所)など多数。

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